無二膏や万能膏の効きめより
  親孝行はなににつけても


 今でいう巴布(ぱっぷ)剤、貼り薬のことを、昔は膏薬(こうやく)といっていた。その膏薬よりも孝行のほうが効き目は確かだ、という歌意である。いくつになっても子供は子供である。親としてはその行く末が心配である。そこで、木の上に立って見ていると書いて「親」なのである。


 親を思う心に勝る親心
  今日のおとずれ何と聞くらん


 吉田松陰の歌である。安政の大獄で橋本左内、頼三樹三郎らとともに処刑された。

 子供として親を大切に思う心は当然のことであるが、それにも増して子供のことを心配しているのが親である。その私(子供)が処刑されたと知らされた親の心は、いかばかりであろうか、という歌意である。松陰にはもう一首、辞世の歌とされているものがある。


 身はたとえ武蔵の野辺に朽ちぬとも
  とどめおかまし大和魂


 松陰の薫陶を受けた長州藩の若き志士(獅子)たちが、明治という近代日本を打ち立てていったのである。松陰のいう大和魂が脈々と受け継がれたわけである。


 さて膏薬だが、火にあぶって患部に貼ったものだが、その効き目も含めて、あまり評価は芳しくない。内股膏薬とか二股膏薬と悪い意味の比喩に使われている。広辞苑を見ると、「内股に貼った膏薬のように、あちらについたり、こちらについたりして、定見、節操のない者」と説明されている。離合集散が常となっている政界に、こうした輩が多いようである。政党の公約を膏薬にひっかけて、剥がれやすいと揶揄(やゆ)されてもいる。


 片仮名のトの字に横に-ひいて
  上になったり下になったり


 実にうがった狂歌である。トの字の上に-をひけば、下という字になり、下に-をひけば、上という字になる。為政者のことを「お上」といっていたが、横にひいた-が邪魔をして、上からは下がよく見えないで、下からは上がよく見えないという皮肉な結果が生まれている。上に立つ者と下々とでは、どこまでいっても分かりあえないという状態になっている。明治のご一新で、世の中たしかに変わったのだが、この上下の関係は単に役者が変わっただけで、依然として続いている。


 上からは明るく治むというけれど
  治まるめい(明)と下からは読む


 徳川幕府から薩長等の藩閥に政治の権力が移っただけで、一般市民から見れば、さほど変わっていないということであろう。西欧先進諸国に追いつけ、追い越せの、息せききっての努力が始まった。富国強兵のかけ声が勇ましく鳴り響いた。近隣諸国の迷惑などまったく顧みないで、わが道をまっしぐらに突き進んだ結果が、原爆を2発も落とされての敗戦であった。現在は富国共栄が肝心である。


 俺が俺がと「が」を張らないで
  お蔭お蔭の「げ」で生きよ

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松井 寿一(まつい じゅいち)

1936年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。医療ジャーナリスト。イナホ代表取締役。薬業時報社(現じほう)の記者として国会、厚生省や製薬企業などを幅広く取材。同社編集局長を経て1988年に退社。翌年、イナホを設立し、フリーの医療ジャーナリストとして取材、講演などを行なうかたわら、TBSラジオ「松チャンの健康歳時記」のパーソナリティを4年間つとめるなど番組にも多数出演。日常生活における笑いの重要性を説いている。著書に「薬の社会誌」(丸善ライブラリー)、「薬の文化誌」(同)などがある。