朝日新聞 編集委員
出河雅彦氏


 診療報酬改定、薬価制度改革など医療保険制度を巡る話題は尽きないが、現在はTPP(環太平洋経済連携協定)への参加によって「日本の国民皆保険制度が崩壊するのではないか」「混合診療を全面解禁せよ、となるのではないか」との懸念の声が後を絶たない。米国がそれを要求してくるとの見方が根底にある。そこで、小社が3月に発刊した「混合診療—『市場原理』が医療を破壊する」の著者である出河雅彦さんに、混合診療を軸にした日本の医療保険制度の現状について率直に語っていただいた。


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——混合診療をテーマにされたのは。


 2003年頃から関心を持って取材を続けてきた。小泉内閣当時の2004年に規制改革・民間開放推進会議が「混合診療解禁」を強く主張し、厚生労働省や日本医師会と大論争に発展した際に朝日新聞紙上に何本か記事を書き、その後の健康保険法改正、混合診療をめぐる訴訟、ドラッグ・ラグや臨床試験の問題をずっと追いかけてきたので、記録に残しておくという意味で、いずれまとまったものを書いてみたいと思っていた。混合診療の全面解禁によって、経済力による医療格差がもたらされると言われているが、医療安全や未確立の医療の管理という観点からも論じる必要があると考えた。


——TPPによって混合診療の問題がクローズアップされています。この問題はこれからも再燃しますか。


 繰り返し議論は行われるだろう。本でも紹介したように、混合診療の禁止原則は適法であるとの最高裁判決が出ており、「保険外併用療養費制度」という形で部分的には混合診療が認められている。健康保険法で認められている保険外併用療養費制度の存在を無視してか、誤解してかはわからないが、一部のメディアは繰り返し、「混合診療の範囲の拡大」や「混合診療の解禁」を求めている。そうしたメディアの報道や論説を読んでも、現在の保険外併用療養費制度にどんな問題があり、どのように改革するのが望ましいかを具体的に指摘しているものはほとんどない。保険外併用療養費制度の中の「評価療養」は、先進医療技術の実施に一部保険の適用を認め、将来的に保険診療に加えるかどうか評価するものだが、以前に比べ審査期間も短縮されている。評価療養という形で混合診療が認められているにもかかわらず、あえて再生医療などを例に混合診療の拡大を主張する人たちの意図がよくわからないが、すべての医療、特に先進的な医療をすべて公的医療保険でカバーすることはできないから、混合診療をより広く認めよと言う主張はこれからも繰り返されるだろう。


——どういう方向になるのでしょう。


 患者はどんな診療でも保険で受けたいと考える、しかし、いずれ財政的な事情でそれが許されなくなるという声もある。


——混合診療であれば、抗がん剤は早く使えるのではないかという指摘はどうか。



 確かに薬の投与に伴う診察、検査などの費用だけでも保険が認められれば患者の負担は減るが、もともと抗がん剤は基本的にクスリ代が高いから、患者にとって、クスリ代が全額自己負担となる混合診療のメリットはそれほどない。具体的に言えば、全額自費の場合に100万円かかる医療が、混合診療によって患者負担が20万円になるなら、患者にはかなりの恩恵だ。しかし、100万円が70万円、80万円にしかならないのであれば、あまり変わらないではないかという気がする。しかし、すべて公的医療保険でカバーできないとなれば、どこかで線を引くしかない。だから、費用対効果の話(中央社会保険医療協議会で議論中)が出てきている。日本でどのような形で制度化されるかわからないが、なかなか簡単に結論は出ないだろう。人の命がかかっている医療の問題は、財政論だけでは割り切れない。


——歯科の混合診療の歴史に関する記述は面白かったです。


 歯科の差額徴収問題は複雑で、この10年間、新聞で書く機会はなかった。しかし、混合診療を論じる際に、避けて通ることはできない。まずは過去の経緯をなるべく正確に知ることから始めるべきだと思い、文献を読み、関係者にインタビューしながらまとめた。海外との比較を具体的に書くことはできなかったが、日本の歯科の保険給付範囲は諸外国に比べて広いということも認識しておく必要があると、今回の取材を通して知った。


——歯科医は医師のように保険でカバーしてほしいという意見は持っていないのか。


 保険医療の範囲を広げてほしいという立場と、逆に自由診療の範囲を広げてほしい立場の双方が存在するようだ。ただ、「脱保険路線」によって、結果的に保険給付を絞られてしまったという反省はあるのかもしれない。


——混合診療の問題点として未確立の医療と保険診療の併用を挙げています。


 未確立の医療行為や研究的治療を将来の一般診療につなげていくためのデータを、患者に害を及ぼさないようにしていかに収集するか。そのプロセスの管理が日本は不十分だ。厚生労働省が先進医療(評価療養)や薬事法で管理しているが、そうした管理の網にかからないものもある。再生医療の推進のために、ようやく厚生労働省も重い腰を上げて、未確立の医療の管理のための法案を準備したが、その対象が再生医療にとどまるとしたら、場当たり的な対応を繰り返してきた過去と同じ道をたどるだけだ。どの程度の覚悟で未確立の医療の管理をやろうとしているのか、注視していきたい。


——米国は混合診療を言っているが。


 明確に混合診療の解禁を求めてはいないが、薬価の水準や薬価制度については、今後もいろいろ求めてくるだろう。高価格の医薬品が増えれば、財政事情との関係ですべてを公的保険でカバーすることはできない、という主張が勢いを増し、保険診療の対象にせず、混合診療をもっと活用すればよいということになるかもしれない。そうなれば、経済力による医療格差の拡大が現実のものになるのではないか。


出河氏 著書
混合診療 「市場原理」が医療を破壊する
http://www.amazon.co.jp/dp/4902968428


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出河雅彦(いでがわ まさひこ)

朝日新聞編集委員。1960年生まれ。1983年、上智大学文学部新聞学科卒。産経新聞社を経て、1992年、朝日新聞社入社。社会部、くらし編集部、科学部で主に医療、介護問題を担当。2002年から現職。医療事故、薬害エイズ事件、医療制度改革、介護保険、有料老人ホーム、臨床試験などについて取材。「ルポ 医療事故」(朝日新聞出版)で「科学ジャーナリスト賞2009」受賞。