東京都健康安全研究センター
微生物部
保坂 三継氏

東京都健康安全研究センター
環境保健部
小西 浩之氏

東京都健康安全研究センター
微生物部
森 功次氏

 

 新型インフルエンザが大流行するなか、ともすれば忘れられがちなのがノロウイルス。


「生牡蠣で大当たり!」


「丸一日、トイレから出られなかった」


 なんてハナシを身近に聞いた——あるいは実際に経験した——人は結構多いのではないだろうか。今回は、例年冬に大流行することの多いノロウイルス感染をテーマとした東京都健康安全研究センター公開セミナー『ノロウイルスによる感染拡大を防ごう』について取り上げた。

 

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 まずはノロウイルスの基礎知識について、同センター微生物部の保坂三継氏の講演から主なところを抜粋してみよう。

 

・ノロウイルスは1〜3日の潜伏期間を経て急なおう吐、下痢、腹痛、発熱などを引き起こす。これらの症状は通常2〜3日で自然治癒し、後遺症はない。

 

・感染しても症状が出ないこともある。この場合、ウイルスはふん便に排泄される。

 

・ノロウイルスは組織培養細胞などで人為的に培養できず、研究が進んでいない。感染力や治療方法などわかっていないことが多い。

 

・ノロウイルス感染は、東京都の食中毒件数の30%程度だが、食中毒患者数では50%弱を占める。つまり、大規模感染が多い。

 

 そして何より重要なことは、シジミ、カキといった二枚貝などを介した食中毒だけでなく、これらの食品を触ったり、感染者のふん便などから感染する「食品を介さない感染例」も数多くあるということだろう。実際にはどのようなケースがあるのか? 同センター環境保健部の大貫文氏の講演を聞いてみよう。

 

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まずはこちらの事例をご覧ください。いずれも食中毒と断定されなかったノロウイルスの集団感染事例です。いずれの事例もホテルの宴会場で発生したもので、一つ目の事例では「空調の風下で発症者が多い」、二つ目の事例では「翌日の宴会出席者にも発症者いた」ことが注目されます。

 

 原因として考えられるのは「おう吐物に含まれるウイルス」です。感染経路については、「おう吐物が周囲に拡散・おう吐場所に残る」「おう吐物が乾燥し、歩行などにより空中に舞い上がる」「体内に入って感染する」という可能性が考えられましょう。

 

 そこで当センターでは、この仮説を実験により検証してみました。

 

 おう吐物の落下実験では、1mの高さから着色模擬おう吐物(水とご飯)を自然落下させ、飛散範囲を測定しました。塩ビ床、裏ゴムカーペット、長毛カーペット、ループ状カーペットで検証した結果、半径1.6mから2.3mまで飛散したことが明らかになりました。

 

 飛散する高さについての実験では、85cmの高さから模擬おう吐物(水のみ)を自然落下させ、飛散したおう吐物の高さを調べました。結果は、高さ160cmまで飛散しているというもので、ウイルスを含むおう吐物の飛沫が大人の顔にまで付着する可能性が示されました。

 

 飛散する粒子の大きさを検証する実験では、85cmの高さから模擬おう吐物(水のみ)を自然落下させ、粒形別のウイルスを検出しました。その結果、0.65μm以上のおう吐物が飛散したことが明らかになりました。粒形0.65μmの粒子が1mの高さからどれだけの時間浮遊し続けているかについては、ストークスの理論(水の場合)です。

 

これら3つの実験結果からわかることは、次の通りのことだ。

 

・床に広がるおう吐物の範囲は畳8畳分(半径2m)に及ぶことから、おう吐物の広がりは、一般におう吐物を処理する範囲を超えている可能性が高い。

 

・おう吐物の飛沫は立っている大人の顔付近にまで飛び散る可能性が高い。

 

・おう吐物を処理した後も、1時間以上に渡って飛沫が浮遊している可能性があり、これらの飛沫が空調や人の移動により拡散する可能性が高い。

 

 つまり、ノロウイルスを持った人がおう吐した場合、その場所から広範囲、長時間に渡ってノロイウルスの集団感染が起き得るということだ。

 

 検証結果からどのような感染拡大防止策が考えられるのか? 大貫氏は語る。

 

 まず、広い範囲を消毒することです。床だけでなく机の上なども忘れずに消毒する必要があります。そのうえで立ち入りは最小限に止めましょう。また、おう吐物は一定時間浮遊しているため、窓を開けて換気することも大切です。消毒作業の際にはマスクの着用と処理後の手洗いも欠かせません。感染拡大を防ぐためにはウイルスを広げないこと、排除することが大切といえるでしょう。

 

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 では、具体的にどのような手順で消毒すると良いのだろうか? 素人考えでは、「マスクとビニール手袋を付け、広い範囲をアルコール消毒で正解?」と思うのだが……。この点について答えてくれたのは、微生物部の保坂三継氏だ。

 

 ノロウイルスの消毒(不活化)に必要な手段は二つあります。一つは「85℃で1分以上加熱」すること。いま一つは「0.1%次亜塩素酸ナトリウムによる消毒」です。

 

 例えば床におう吐物を消毒する場合、手っ取り早い手段としては熱湯を掛ける方法があります。しかし、結論から言うと、熱湯による消毒はあまり効果がありません。カーペットに熱湯をかけても「85℃で1分以上加熱」できないのですね。熱湯をかけて数十秒で85℃以下に冷めてしまうわけです。加熱消毒を行なう際には、熱湯よりはスチームアイロンを使った方法が適当でしょう。実験結果によれば一カ所当たり2分程度加熱することで、カーペットを消毒できます。

 

 ただ、スチームアイロンで広い範囲を加熱消毒するのは難しいものです。となれば、消毒剤による消毒方法が考えられるわけですが、逆性石けんやアルコールでは十分に消毒できません。

 

 なぜ、アルコールでの消毒は難しいのか。その答えは、ノロウイルスがエンベローブ——インフルエンザウイルスなどに存在するウイルス粒子を覆う膜。逆性石けんやアルコールで簡単に破壊される——を持たないウイルスであるためだ。つまり、ノロウイルスは、アルコールで破壊されるエンベローブを持たないウイルスであることから、アルコールに対する抵抗性が高く、消毒が難しいということだ。

 

 ノロウイルスの消毒に使える消毒剤としては、次亜塩素酸ナトリウムか二酸化塩素があります。いずれも一般家庭で容易に入手できる消毒剤です。効果的に使うためには、「使い捨て手袋とペーパータオルで汚れを拭き取り、そこにペーパータオルを敷いて消毒液を撒く」と良いでしょう。そのまま床に撒いただけでは表面張力が働くため思いのほか広がりません。ペーパータオルを敷いてそこに消毒液を撒くことにより、毛細管現象の働きで万遍なく広がり、効果的に消毒できるわけです。

 

 ただし、次亜塩素酸ナトリウム、二酸化塩素とも消毒によりカーペットなどを変色させますので、その点はよく注意してください。

 

 次亜塩素酸ナトリウムを使う場合には0.1%濃度に薄めて使うと良いそうだ。市販のもの(ブリーチなどの漂白剤)は6%濃度であることが多いことから、例えば、「2リットルのペットボトル1本弱の水に付属キャップ(30ml)の満杯の原液を混ぜる」ようにすれば、おおよそ0.1%濃度の消毒液ができる。なお、二酸化塩素剤の多くは希釈せずそのまま使える。

 

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 さて、家庭で出来る消毒法としては、「ごく小さい範囲の消毒ならスチームアイロン」「広範囲であれば消毒液」を使う方法が効果的であることはわかったが、実生活上の感染防止策としてどのような方法が効果的なのだろうか? 微生物部の森功次氏の講演を聞いてみよう。

 

 ここまでの話にある通り、ノロウイルス感染は食べ物を介さない場合もあります。感染者が使ったトイレ、ドアノブなどがウイルスに汚染されれば、そこを触った健常者の手指がウイルス汚染されるおそれがあり、二次的に食品などが汚染され……と感染が広がる可能性があります。ウイルスは生活空間でどの程度生きていけるのか? 乾燥条件下での生存性(ネコカリシウイルスを代替指標とした検討)を調べてみた実験結果から、室温(25℃)で5日間、冷蔵庫(4℃)で3週間以上生存することが明らかになっています。

 

 感染拡大を防ぐためには手指をきれいにするしかありません。つまり、正しい手洗いの徹底です。ウイルスを“消毒”するのではなく、ウイルスを“物理的に除去”するという意識で洗うことが大切なんですね。こと、ノロウイルスに関して言えば、ウェットティッシュや速乾性消毒剤による衛生効果は大きく期待できません。手洗い、それも石けんを使って泡立てて、しっかりと洗い流すことです。洗うポイントをおさえた1分くらいの手洗いでも効果的です。

 

 ノロウイルスは不顕性感染もあるうえ、ごく少ないウイルス量により感染——10〜100個で感染。ちなみに患者の便には1g当たり100万〜10億個のウイルスが存在——することから、「いつもノロウイルスに感染している」くらいの気持ちで、しっかりと手洗いするくらいの意識でいいのかも知れない。(有)