理化学研究所
網膜再生医療研究開発プロジェクト プロジェクトリーダー
高橋政代さん


 筆者が当コーナーの取材のため各種セミナー、講演会に出席して幾星霜。ここにきてようやく、一般マスコミのみならず、一般大衆の大多数が興味を持つであろう“歴代最高レベルの話題性”を持つトピックと出逢った。そのトピックとは『iPS細胞(人工多能性幹細胞)』。昨年、山中伸弥教授がノーベル生理学・医学賞を受賞したテーマであり、現時点において医学界で最も先進的でホットなテーマでもある。


 今回取り上げるのは日本眼科学会、日本眼科医会、日本眼科啓発会議共催の記者会見『iPS細胞による再生医療の最前線——難治性眼疾患への臨床応用を通じて』。講演の演題は、「滲出型加齢黄斑変性に対する自家iPS細胞由来網膜色素上皮シート移植に関する臨床研究」。演者は理化学研究所・網膜再生医療研究開発プロジェクトの高橋政代プロジェクトリーダー。


(なお、講演の前半は加齢黄斑変性の基礎についての解説が中心なので、ここでは割愛。加齢黄斑変性の詳しい病態については、6月10日掲載の記事『眼が悪くなる前に、生活習慣改善と禁煙を! 加齢黄斑変性の治療と予防』を参照のこと)


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 加齢黄斑変性のタイプには、「萎縮型」と「滲出型」の2つのタイプがあります。欧米人に多い「萎縮型」は、加齢により黄斑に老廃物が蓄積することで起きるもので、進行は緩やかであるものの、現時点で有効な治療法はありません。一方、日本人に多い「滲出型」は、脈絡膜に新生血管が発生することで起きるもので、この新生血管からの出血により網膜に障害がでるものです。進行が早く急激に視力が低下します。現時点では薬物療法などの治療が極めて有効です。この「滲出型」の加齢黄斑変性こそが、今回、iPS細胞自家移植の臨床研究テーマです。


 ではなぜ、滲出型の加齢黄斑変性が、iPS細胞の臨床研究テーマとして取り上げられることになったのでしょうか?


 その理由は、現行の治療法はあくまでも「新生血管を抑制する」という対症療法であって、劣化した網膜色素上皮細胞(RPE)を修復できないことにあります。これを根治するために、iPS細胞由来のRPEを移植する方法に白羽の矢が立ったといえます。


 RPEの移植手術自体は、99年にヒト胎児RPE移植(拒絶反応あり)、04年に自家RPE細胞移植(生着不良あり)、06〜07年に自家RPEシート移植(自家RPE採取にあたって重篤な合併症あり)と試みられてきました。しかし、いずれも倫理的、疫学的、手術侵襲的な問題があるため、一般的な治療とはなりえませんでした。


 これらの問題を一挙に解決する可能性を秘めているのが、iPS細胞からRPEを作って移植する方法なのです。

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 iPS細胞自家移植の大まかなプロセスは、以下のとおりとなる。

①患者の上腕部から得た皮膚よりiPS細胞を作成する
②作成したiPS細胞からRPE細胞を分化する
③分化したRPE細胞に未分化細胞が混入しないよう純化する
④純化したRPE細胞をシート状に加工・培養する
⑤完成した網膜色素上皮シートを患者の網膜下に移植する
*①〜⑤までのプロセスにかかる期間は、現時点で約8〜10カ月程度。


 これら5つのプロセスは、現時点で技術的に完成しているという。つまり、理論上はいつでも移植手術ができる態勢にあるということ。ひとつだけ残されている問題が「安全性」であり、今回の臨床研究における最大の目的は、この「iPS細胞の安全性評価」にあるといっていい。


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 今回の臨床研究では、ヒトへの安全性の確認を主な目的としています。とりわけ拒絶反応、腫瘍化の有無や、移植手術に伴う有害事象のレベルを評価することが最大の眼目といえるでしょう。第一義的な目的として「視力の大幅な改善といった治療効果を期待するもの」では決してない——ということは、よく承知していただきたいと思います。


 移植手術のプロセスは、網膜下の新生血管や血塊を取り除き、iPS細胞から作ったRPEシートを注射で移植するというもの。この手術のリスクについていえば、「数%程度の割合で失明レベルの合併症が起きる」可能性があります。ただしこれは、iPS細胞それ自体のリスクではありません。ですから、臨床研究の安全性評価にあたっては、「iPS細胞由来なのか」「手術由来なのか」について、十分に検討される必要があるでしょう。


 繰り返すようですが、今回の臨床研究における最大の目的は安全性評価にあり、より踏み込んでいうなら、「iPS細胞が腫瘍を作らないことを確認する」ことにあります。なお現時点において、動物実験では有害な事象は見られていません。とりわけ腫瘍化については、起こそうと思っても再現できないほどです。

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 iPS細胞の臨床研究で眼科領域、とりわけ滲出型の加齢黄斑変性を対象としているのは、前述の通り「従来の移植手術の失敗=新たな移植手術への期待」という事情がある。これに加えて、滲出型の加齢黄斑変性は病状の進行が早く、移植手術後の治療効果が見やすいことに加え、研究室レベルの規模でも必要な細胞を培養できるため、早期実現性、採算性などに優れていることもある。


 誤解を恐れずに言うなら、「手っ取り早く安全性評価をするために、極めて都合のよい疾患」ということだ。


 今後は様々な審査を経た後、臨床研究が実施されるが、現時点では実施機関である理化学研究所TR倫理審査委員会のほか、先端医療振興財団再生医療審査委員会、神戸市立医療センター中央市民病院倫理委員会より承認を得ている。今後は厚生労働省の「ヒト幹細胞を用いる臨床研究に関する指針」に基づく審査を経て、臨床研究が実施される見通し。


 対象となる患者は——


●対象疾患:滲出型加齢黄斑変性
●目標症例:6例
●適格基準:既存の標準治療で滲出型変化が残存、もしくは再発を繰り返す患者。その他、選択基準および除外基準に基いて患者を選定


 ——であり、現在の治療法では効果の薄い人が対象になる。


 順調に審査が進めば5年以内には実施できる見通しという。


 世界初となるであろうiPS細胞を使った再生医療の臨床研究を巡る現状は以上の通りだ。次回の後編では、iPS細胞を巡る再生医療の将来像や、眼科領域での成果の応用などについて取り上げる(有)。