防衛医科大学校
小児科教授
野々山 恵章氏


 免疫系がしっかりと機能している健常人にとって、日常の生活環境は概ね快適なものだ。電車の中でも、会社の中でも、スーパーマーケットの中でも、普通に過ごしている限りにおいては、それだけで感染症になる危険性はない。車内や室内に数え切れない微生物がいるにも関わらず、こうした微生物を原因とする感染症に罹らないのは、ひとえに免疫機構がしっかりと機能しているためだ。

 

 しかし、原発性免疫不全症(PID)の患者ではそうはいかない。極端な言い方をするなら、「雑踏に出ただけで肺炎をこじらせる」のだ。もちろん、こうした日和見感染(一般的に病原とならない弱毒の病原体による感染)だけでなく、一度感染すると何度も感染を繰り返す反復感染や、重症感染、難治感染など、あらゆる感染症について、健常人よりも遥かに「罹りやすく、治りにくい」状態が日常的に続くという。

 

 今回は、PIDを巡る現状についてのセミナー(第2回CSLベーリングメディア勉強会)での講演「原発性免疫不全症(PID)について」(防衛医科大学校小児科・野々山恵章教授)を紹介する。

 

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 PIDには、「抗体産生不全」「複合免疫不全」「細胞性免疫不全」「食細胞機能不全」「補体欠損症」といった症状があります。これらの症状の最も多く、全体の半分程度を占めているのが「抗体産生不全」であり、なかでも代表的な疾患とされるのが「X連鎖無ガンマグロブリン血症」(XLA)です。

 

 XLAは、B細胞分化障害により免疫グロブリンの産生がほとんど行なわれない疾患です。これによりどのような症状がでるのか? 日本におけるXLAの初発症状はこのようになっています。


 気道、皮膚、消化管、骨、関節、脳・脊髄で様々な細菌感染症を繰り返すことが特徴といえるでしょう。日本国内の患者では、1歳までに59.3%の患者で初発症状が出る一方、全患者のうち1歳までにXLAと診断されている患者は30.6%に過ぎません。

 

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 XLAの治療はただ一つ、免疫グロブリン定期補充療法だけだ。どのような治療をするのかといえば、静注用免疫グロブリン200〜400mg/kgを2〜4週間ごとに定期的に点滴するというもの。これにより血液中の結成lgG値をトラフ値(最低値)で500mg/dl以上(健常人の正常値は1500mg/dl)保つことで、免疫機能を確保するのだ。肺炎などの感染を起こした場合は、600〜700mg/dl以上を保つように投与する必要がある。

 

 例えば、標準体重(約70kg)の男性患者の場合、半月から一カ月ごとに静注用免疫グロブリン2.5g製剤(50ml)の静注点滴を受ける必要があるということだ。

 

・半月か一カ月のうち、治療のため必ず丸一日休まなければならず

 

・一度の治療で、一本数万円という高価な薬剤を投与することを

 

・遠い将来に渡って永続的に続けなければならない

 

 これがXLAを発症した患者の置かれた現状だ。PIDとは、極めて大きな負担を強いる疾患なのだ。

 

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 PIDの中でも致死性が高い疾患といえば、「重症複合型免疫不全症」(SCID)でしょう。T細胞の分化障害により、細胞性免疫と液性免疫の両方の病像をとる疾患です。SCIDと診断された乳幼児の場合、1歳までに適切な治療が行なわれないと、カリニ肺炎などの感染症によってほぼ全例で死亡します。一方、感染症罹患前に非血縁臍帯血移植を行なった場合には、93.3%生存したというデータがあるように、早期に診断、治療(早期造血幹細胞移植、遺伝子治療)を行なえば、SCIDを根治できる可能性が高いということです。

 

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 SCIDから幼い命を救うためには、具体的にどうすればいいのか?

 

 野々山教授は、新生児全てにTRECスクリーニング(T細胞受容体除去環状構造スクリーニング)を行なう必要があると主張する。アメリカ・ウィスコンシン州で71000例を対象に行なわれたスクリーニングでは、先天性T細胞欠損症を5例発見。この結果を日本に当てはめると、年間70例(100出生×5/71000)がスクリーニングで発見できる——すなわち、70人の幼い命を救える——ということだ。

 

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 PIDを巡るいちばんの課題は、「多くの患者が診断されずにいる」ことにあります。T細胞欠損症を見つけるTRECをはじめとする数々のスクリーニングを全ての新生児が受けられるような「原発性免疫不全症中央診断登録システム」を構築することは急務といえるでしょう。すでに厚労省(原発性免疫不全調査研究班)、理研免疫アレルギー科学総合センター、かずさDNA研究所の三者による共同研究がスタートしていますが、このシステムをいち早く整備する必要があります。

 

 同時に、PIDという疾患を広く社会に認知することも大切なことといえるでしょう。私の下を訪れる患者さんのなかに就職活動中の大学生がいます。彼女はとても有能なのですが、PIDの患者であり、毎月丸一日を治療に費やすことを明かすと、「このたびの話はなかったことに」と採用を断られたといいます。このような境遇にある患者さんは極めて多いものです。

 

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 彼らは「半月〜月一回、丸一日休む」ことを除けば、ほぼ健常人と同じように仕事ができるという。PID患者に対する偏見をなくすためには、PIDという疾患の情報が広く国民の間に認知されなければならないのだろう。あわせて、薬価の高い免疫グロブリン製剤を永続的に使えるような制度改革(PID患者の障害者認定など)や、免疫グロブリン製剤の用量制限撤廃などの施策も講じられる必要があろう。(有)