何年か前、月刊『文藝春秋』に20~30代の「ハーフ」に話を聞くドキュメントを上下2回の記事で書いたことがある。芸能人やスポーツ選手として各分野に活躍する人材のほか、一般人や学生の生活も取り上げた。昨秋には、テニスの大坂なおみ選手が世界女王になったタイミングに合わせ、この記事はウェブにもアップされた。


 ベッキーやローラ、ダルビッシュなど、カタカナの名を持つ日本人が近年は目立つ。それだけの素朴な印象から始めた取材だが、改めてひもとくとバブル時代、日本人の結婚全体に国際結婚が占める割合が一気に倍増する“境目”があったことが判明した。その時期を挟んでハーフが出生する“分母”が拡大し、いつしか彼らが成人して今日の状況を迎えたのだ。例えばバブルの絶頂期、1991年の生まれなら今年で28歳。“何となくのイメージ”通りの年ごろである。


 アフリカ系の来日外国人が増えたのはその時期よりやや遅く、90年代の後半。このためスポーツ選手に黒人系のハーフが台頭してきたのは、今年22歳になる楽天のオコエ瑠偉選手(97年生まれ)あたりから目立つ現象だ。奇しくも大坂なおみ選手も同い年である(彼女の父親はアフリカ系ハイチ人)。


 さらにここに来て、陸上のサニブラウン選手(20)が100メートル走で9秒97の日本新記録をマーク。先週はベナン人の父を持つバスケットの八村累選手(21)が日本人として初めてNBAのドラフト1巡目指名を受け、脚光を浴びた。


 今週の文春と新潮は、ワイド特集でこの八村選手の話題を取り上げている。文春は『「ビビリでいじめられっ子」八村累を変えた富山の人々』、新潮は『「両親離婚」「いじめ」にも道を踏み外さなかった「八村累」の軸足』と、いずれも同じトーンでその生い立ちを辿っている。


 アメリカの大学生活で鍛えられ、自信を得たためだろう、ニュースで伝えられるその立ち居振る舞いは、すでに大スターの風格を漂わせているが、日本で成長した少なからぬ黒人系のハーフの子と同様、彼もまた少年時代にはオドオドした内気な性格だったらしい。文春の記事には、中学のバスケ部時代の話として「一部の親からのヤッカミで、味方の席からブーイングを浴びたことも(ある)」というエピソードが収められている。


 以前の私の取材でも、似たような体験は耳にした。姉が柔道、妹がバスケットで活躍するヌンイラ華蓮、玲美という姉妹アスリートに会ったとき、妹はミニバスケットの試合で相手チームの親たちから「ずるい」とヤジられた小学校時代の体験を口にした。これだけ各分野で活躍が目につくと、黒人系の身体能力には実際、遺伝的な強みがあるように思えるが、かといってそれを「ずるい」と言われても、当人にはどうしようもない。「身体能力に頼り、努力しない。そんなふうに言われるのも悔しい」と姉妹は語っていた。


 良きにつけ悪しきにつけ、異質な人を見つけると、やっかんだり蔑視したり。残念ながら日本の社会には、そんな狭量な空気が今なお根強くある。各分野で活躍を始めた“平成ハーフ”の人材には、草分けならではの風当たりもあるだろうが、うむをも言わせぬ世界的な活躍で、世間の島国根性そのものを打破していってほしい。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。