今年で70回目を迎えた米国糖尿病学会(ADA)。糖尿病治療に関する最新情報が集まる同学会では、ここ数年来、糖尿病治療の概念を根本から変え得る医薬品・DPP-4阻害剤を巡るテーマが話題の焦点となってきた。H2ブロッカーが胃潰瘍治療につきものだった外科手術を遠くに追いやったように、DPP-4阻害薬は糖尿病治療に革命を起こせるのか? 今年のADAでは、3つの先行品が席巻する市場に切り込まんとする「リナグリプチン」(ベーリンガーインゲルハイム)のフェーズⅢ試験の結果が発表された。

 

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 ADAの論文を取り上げる前に、DDP-4阻害薬について簡単に紹介してみたい。

 

 DPP-4阻害薬が作用するのは、インクレチンという消化管ホルモンだ。

 

 インクレチンは、食事をすると消化管から出てくるホルモンのこと。膵β細胞に作用することでインスリン分泌を促進する働きがある。現時点で見つかっているインクレチンは、GLP-1とGIPの二つ。GLP-1にはインスリン分泌促進に加えて、中枢神経系に作用して食欲を抑制する効果があり、GIPにはインスリン分泌促進に加えて、脂肪を蓄積させたり、骨へのカルシウム沈着を増加させる効果がある。

 

 さて、理屈の上では、糖尿病患者にインクレチンをたくさん投与すれば、体内でインスリンを多く分泌させ血糖値を下げられるということになる。いわば糖尿病の特効薬だが、話はそう簡単なわけではない。インクレチンには“天敵”であるDPP-4があるためだ。

 

 DPP-4とは、細胞表面や血中に存在する酵素のこと。インクレチンなどのホルモンやサイトカインなどを不活化して、その作用を調節している。GLP-1(インクレチン)はDPP-4により不活化されてしまい、効果的にインスリン分泌を促すことができなくなってしまうのだ。その血中半減期は1〜2分と高速であるため、仮にGLP-1をそのまま投与しても、すぐに不活化してしまい効果が出ないということ。


 このようなGLP-1とDDP-4の関係を知った研究者が、糖尿病治療薬を開発するにあたって考えたのは2つの方法だ。

 

 すなわち、「GLP-1がDPP-4に不活化されないための<盾>を作ろう」という“守り”の薬を開発する方法と、「GLP-1を攻撃するDPP-4を叩きのめす<矛>を作ろう」という“攻め”の薬を開発する方法だった。

 

 結果、生まれたのが——

 

・“守り”の薬である『GLP-1アナログ製剤』:GLP-1に修飾を加えて、DPP-4による分解を受けにくくすることで、GLP-1の機能を保持してインスリン分泌を高める薬。


・“攻め”の薬である『DPP-4阻害薬』:DPP-4の作用を阻害することでGLP-1の血中濃度を高め、インスリン分泌を促進する薬。

 

——の両剤だった。

 

 なかでもDPP-4阻害薬は、低血糖や体重増加が起こりにくいことが大きな特長とされる。つまり、命に関わる深刻な副作用(低血糖発作など)を気にせずに使えるということであり、これまでの糖尿病治療のあり方を大きく進歩させる画期的な薬として期待されている。

 

 現在、国内で上市されているDPP-4阻害薬は、シタグリプチン(万有製薬、小野薬品)とビルダグリプチン(ノバルティス)、アログリプチン(武田薬品)が発売中で、リナグリプチン(ベーリンガー)、ABT-279(アボット)、SK-0403(三和化学研究所)などの開発が進んでいる。

 

 この6月に開催されたADAでは、リナグリプチンのフェーズⅢ試験の臨床データが発表され、関係者の注目を大いに集めた。

 

〜〜〜〜〜ADAでの発表内容の概略〜〜〜〜〜

 

 学会で発表された臨床データは、4つのランダム化二重盲検多施設共同比較試験のもの。血糖コントロール不全の2型糖尿病患者を対象に、リナグリプチン(1日1回5mg投与)の有効性、安全性、忍容性を24週以上にわたり検討した。試験全般を通してのベースラインのHbA1c値は6.5%〜11%の範囲だった。

 

◆リナグリプチン単独投与で——


・ベースラインからのプラセボ補正後平均HbA1c値の変化で-0.69%。


・24週後にHbA1c値が0.5%低下した患者の割合がプラセボ群に比べて有意に高い(47.1%:19.0%)。


・ベースラインHbA1c値が9.0%以上の患者で、プラセボ補正後平均HbA1c値の最大の減少(-1.01%)が見られた。


・プラセボ補正後の食後血糖値が極めて有意に低下(-58.4mg/dl)した。


◆日本人の2型糖尿病患者を対象としたリナグリプチン単独投与で——


・投与12週後の結果では、ベースラインからのプラセボ補正後平均HbA1c値で、リナグリプチン5mg群とプラセボ群とのあいだで-0.87%。同10mg群とプラセボ群とのあいだで-0.88%を記録。


・投与開始から12週後に「HbA1c値7.0%未満」の目標を達成した患者の割合は、リナグリプチン5mg群で26.4%、同10mg群で35.7%、プラセボ群で10.0%となった。

 

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 このように、同剤の単独投与によりFPG(空腹時血糖値)、PPG(食後血糖値)、HbA1c(グリコヘモグロビン)——いずれも糖尿病の病態を計る指標——が変化するとともに、臨床的に有意な形で持続的な血糖コントロールの改善が得られたとしている。なお、安全性プロファイルもプラセボと同等という。

 

 ここまでの結果についていえば、先行品と大きな違いはない。では、リナグリプチンにはどのような強みがあるのだろうか? テキサス大学臨床内科学のフリオ・ローゼンストック教授によると、薬剤の排泄にあたって腎臓を介さない点が大きな特長という。

 

「リナグリプチンについては、経口投与された薬剤の概ね5%のみが腎臓を介して排泄されることが示されている。これまでのデータから、用量調節を必要としないことが示唆されていることもあり、腎障害を伴う患者のみならず、合併症として腎疾患のリスクを伴う2型糖尿病患者の治療方法を選択する際、非常に有用と考えられる」(ローゼンストック教授)

 

 つまり、排泄にあたって腎臓を通さない——経口投与された薬剤の95%以上は、胆汁などを介して排泄される——ため、投与された薬剤が「腎臓という“フィルター”を経ず、“再利用”されることなく速やかに排泄される」ということだ。

 

 腎障害を持つ患者に既存品を投与すると、腎臓で薬剤を“ろ過”できないことから血中の薬剤濃度が上がり、投与する薬剤量を厳密にコントロールする必要がある。フェーズⅢ試験で「経口投与された薬剤の概ね5%のみが腎臓を介して排泄される」ことが示されたリナグリプチンは、投与量のコントロールにバッファ(遊び)があるという点で使い勝手が良いと考えられる。

 

 この使い勝手の良さが、どこまで先行品に対するアドバンテージとなるかは未知数だ。しかし、現在“三国志”状態にあるDPP-4阻害薬市場で、後発ながら第一選択薬の地位を奪えるだけのポテンシャルを秘めていることは確かなようだ。腎障害患者に対する用量調整や禁忌がないとなれば、該当する重症糖尿病患者に加え、初期糖尿病患者に対しても「10〜20年後の病状悪化にも耐えうる第一選択薬」として使われる可能性もある。

 

「この秋には欧州糖尿病学会(EASD)でフェーズⅢ試験の結果が出揃います。日本、海外でも、ここ数年内に上市することを目指して開発を進めているところです」(日本ベーリンガーインゲルハイム広報部)というリナグリプチン。先行して上市された3つの製剤を超える“糖尿病治療薬の決定版”となれるのか否か? 今後の開発状況が注目される。(有)