財団法人心臓血管研究所
研究本部長
山下 武志氏


「心房細動? 不整脈でしょ。心電図を見て鼓動を整えておけば治るのでは?」——という時代も今は昔。この四半世紀に行われた数々の治験により、従来の治療法の効果が検証され、新たなエビデンスが確立されてきたことにより、いまや心房細動治療は「心電図を見て治すだけ」の時代ではなくなってきているとのこと。


 では、21世紀の心房細動治療の現状はどのようになっているか? 残された課題は何なのか? 今回取り上げる講演は、こうした素朴な疑問に答えたものだ。テーマは「変わる!! 心房細動治療」。演者は財団法人心臓血管研究所付属病院の山下武志研究本部長(日本ベーリンガーインゲルハイム・プレスセミナーより)。


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 私が大学を卒業した1986年、心房細動の治療方法は実に単純でした。Harrison内科学書にはこうあります。「ジキタリス投与により心拍数を落とす」「必要であればキニジンの投与により洞調律維持を図る」、脳梗塞予防のためには「アスピリンを投与する」「例外的に弁膜症であればワルファリンを投与する」——基本、この4つの治療法で済ませていました。しかし、四半世紀経って心房細動治療は大きく変わっています。

 

 何が変わったのか? 一つは患者であり、いま一つは治療ツールです。

 

 高齢化の進展により心房細動の患者数は、当時に比べて倍以上に増えました。以前であれば「弁膜症かその他の症状」くらいに単純化して把握されていた患者背景も、現在では、弁膜症だけでなく「糖尿病」「冠動脈疾患」を初めとする諸々の症状を考慮する必要があるほど複雑化しています。また、心原性脳梗塞の患者数も激増していることも注目すべき点といえるでしょう。

 

 治療ツールについていえば、90年代になってから抗不整脈薬が相次いで上市されたことが一番のトピックといえるでしょう。ここにきて個別医療への対応が求められているだけに、薬剤治療は複雑化の一途を辿っているといっていいでしょう。もはや、80年代のような単純な医療には戻れなくなっているのが現状です。

 

「糖尿病患者の心房細動には、この薬をこのタイミングで投与して、この処置を行う」

 

「冠動脈疾患患者の心房細動には、あの薬とその薬を使って、あの処理を行う」

 

「脳梗塞を併発した心房細動には……」

 

 多様な患者背景、多様な治療薬、多様な理論……。これら多種多様なピースを使った複雑怪奇なパズルを完成させるような複雑な治療——これが、つい最近までの心房細動治療の現状だったという。

 

 このように複雑化する一方だった心房細動治療ですが、多くのクリニカルエビデンスが検証されたことにより、数十年前まで有効と信じられていた治療法にも多くの疑問符がつきつけられています。

 

・洞律動維持と心拍数調節治療は異なるものだ

 

・アスピリンでも十分治療できる患者は多いものだ

 

・神経体液性因子の是正は優れた治療法だ

 

 いずれも、つい最近まで有効な治療法と信じられてきたものです。


 洞律動維持も心拍数治療も効果の点ではさほど変わらず、アスピリン治療だけでは十分ではなく、神経体液性因子の是正も優れた治療とはいえない——。こうしたクリニカルエビデンスが発表されたことにより、心房細動治療にあたっている現場の医師は素早く対応し、いまや「効果の薄い複雑な治療」から「効果の確かな単純な治療」へとシフトしつつあります。

 

 現在、心房細動治療は、以下の3つのステップで考えるようになっています。

 

 ファーストステップでは、個別の症状以上に「患者の全体像」を把握することを優先します。実際、心房細動患者の生命予後には、心房細動そのものよりも背景因子(冠動脈疾患、糖尿病、喫煙、加齢など)が大きく影響します。ですから、ここを見極めて適切な対処をする必要があるわけです。これまでの心房細動治療が「心電図を直す」ことにあったとすれば、現在の心房細動治療は「患者を治す」という基本に立ち返っているといっていいでしょう。

 

 こうして患者の生命を護る処置を行った後は、脳梗塞を予防するセカンドステップに入ります。心房細動に起因する脳梗塞予防にあたっては、治療ツールは「ワルファリン」、治療戦略は「CHADS2スコア」を用います。この段階では、治療の複雑化は是正され、よりシンプルな治療方法が確立しているといっていいでしょう。

 

 そして最後のサードステップで、症状を取り除く段階に入ります。具体的には抗不整脈薬の投与となりますが、その治療方針は「生活を護る」ことにあり、QOL向上のためとわりきることが肝要です。抗不整脈薬の使い方にあたってはNEW ESC AFガイドラインがあり、これに沿って使います。ここでも治療の単純化が成立しています。

 

 このように四半世紀かけて劇的に変わった心房細動治療の進歩は、複雑化から単純化という大きな流れとともにあったとのこと。結果、現在では選り抜かれた治療法と数種のガイドラインをベースに、「シンプルな治療」が実現しているという。しかし、山下氏はただ一つだけ、複雑化の“くびき”から逃れられないファクターがあるという。

 

 心房細動治療をシンプルにするために残された唯一の課題は「ワルファリン」です。INR至適範囲内時間(TTR)を適切にコントロールしなければ高い効果の出ない薬——TTR41〜51%以上でなければ、脳梗塞発症率でワルファリン非投与群を上回れないという研究結果がある——ですが、RE-LY試験での各国の平均TTRを見ても、半分以上の国で65%以下(日本はTTR58%)に留まっています。

 

 加えて、大出血を起こすリスクも内包している。医師は、一度大出血を経験すると1年以上に渡ってワルファリンの投与を避けるという調査結果もある。作用機序も極めて複雑であることから、必ずしも使いやすい薬とはいえないようだ。


 すなわち心房細動治療における最後の課題が「単純な薬」なんですね。そこで私たちが上市を期待しているのが、直接トロンビン阻害作用を持つ経口抗凝固薬であるダビガトランや、第Xa因子阻害薬のリバロキサバンなどの新薬です。いずれも現在承認申請中ですが、コントロールが容易で大出血などのリスクも少なく、何より作用機序が単純な薬ですから、上市されれば向こう5年ほどでワルファリンから切り替わるものと思います。

 

ワルファリンに対する不満は医師だけのものではない。投与される患者にとっても、「血液検査が大変」「納豆が食べられないのが不満」といった声が出ているという。こうした制限がなくQOL向上が期待されるダビガトランなどの新薬が上市されれば、「患者サイドから『ワルファリンから切り替えて欲しい』という声が上がってくるのではないか」(山下本部長)という。新たな抗凝固薬は心房細動治療革命の“切り札”となるのか? 上市後の行方が気になるところだ。(有)