東北大学病院
てんかん科教授
中里 信和氏


 今回取り上げるのは「てんかん医療の日本の課題〜身近な『100万人の病』に対する、社会の医療の誤解と偏見」。東北大学病院てんかん科・中里信和教授の講演だ。

 

 講演の冒頭、スライドがビデオに切り換わり、てんかん発作の実態を映し出される。

 

 幸か不幸か筆者はてんかん発作を生でみたことはない。映像作品で何度か目にした——最近では米国のTVドラマシリーズ『ROME』で、ジュリアス・シーザー役の俳優がてんかん発作を演じていたのを見た——くらいで、てんかん発作については「首がそっくり返って、口を開けてアタフタするようなもの?」という程度の認識しかなかった。

 

 実際に映し出された映像は、これまで映像作品で触れてきたてんかん発作とは根本的に異なるものだった。

 

◆ケース1:10代後半の女性——ベッドの上で上半身を起こしている患者が、突然、どかんと動く。その間、0.8秒程度。苦悶の表情や白目をむくようなことは一切ない。ただ、全く唐突に、“どかん”としか形容しようのないほど一瞬だけ激しく動く。


◆ケース2:30代後半の男性——ベッドで仰臥していたのが、いきなり両手、両足を大きく動かしながら左側にひっくり返る。動き自体は俊敏というよりもほんの少し緩慢だが、傍目には突然暴れだしたようにしか見えない。

 

◆ケース3:40代後半の女性——口と左手が数秒間もぞもぞ動き出す。口は閉じたままで、強いていえば「牛の反芻運動」に似てなくもないが、口だけが別の生き物のようにもぞもぞ動く光景は、正直、不気味に見えた。

 

 中里教授によれば、てんかん発作の現れかたは人によって全く違うという。実際、ケース2の患者のように派手に動く発作もあれば、ケース3の患者のように口元と手元がわずかに動く発作もあるように、パターン化しづらいものなのだろう。なかには「2時間ものあいだ、冬の盛岡市街を裸足で歩き回った」ように夢遊病にしかみえない症状もあるが、これも立派なてんかん発作だという。

 

「てんかん発作とは首がそっくり返って、口を開けてアタフタするようなもの?」という筆者の認識も、無知による偏見でしかなかったということだ。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 なぜ、このような発作が起きるのでしょうか?

 

 一言でいえば、「脳の活動が過剰になるため」です。てんかんについてWHOは以下のように定義しています。

 

「さまざまな病院によってもたらされる慢性の脳疾患であり、大脳ニューロンの過剰な放電から由来する反復性の発作(てんかん発作)を主徴とし、それに変異に富んだ臨床ならびに検査所見の表出が伴う」


 なお、発作の分類法には議論がありますが、1989年の国際分類ではこのようになっています。

 

 つまり、脳の病気であり、脳の活動が異常なほど活発になったとき発作が起きる病気といっていいでしょう。いわゆる精神科の病気ではありませんし、遺伝する病気でもありません。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 フィクションの世界で例示される「首がそっくり返って、口を開けてアタフタするような」てんかん発作では、患者が舌を噛まないよう口に棒やタオルを入れる描写があるが、これも大きな間違い。中里教授によると「てんかん発作で舌を噛むようなことはないし、無理に口に何かを入れようとすれば、歯が砕けたり指を噛み千切られたりする」という。これも無知による偏見の好例だ。

 

 発作時に心がけるべき点は——

 

・危険な場所(道路、階段など)で倒れた場合は、安全な場所に移す

・横にして周囲の危険物を除き、けいれんによって打撲しないようにする
・呼吸しやすいように服のボタンを外し、ベルトを緩める

・時計があれば発作が起こった時間を確認し、てんかんのようすを観察する

 

——ことで、ある意味、「泥酔して眠り込んだ人」(吐寫物をノドに詰まらせ窒息死する可能性がある)よりも危険性は少ないといえよう。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 てんかんの有病率は性別、人種、国によらず0.5〜2.0%(約1%)と報告されています。この数字から、日本では100万人以上の患者がいると見られています。厚生労働省の見積もりはもっと少ないものですが、これは専門医によらない治療が多いため、てんかんが正しく診断されていない患者が相当数いることを示唆しているといえるでしょう。隠れてんかん患者が多いということですね。


 神経系疾患の有病率と比較してみると、うつ病が1〜5%、認知症が1〜2%、統合失調症が0.5〜2%ですから、ある意味でメジャーな病気といえます。実際、政治家、スポーツ選手、芸能人にも多くのてんかん患者がいますが、カミングアウトしている人はほとんどいません。理由はいうまでもなく、世間一般のてんかんに対する偏見が根強いものだからです。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 てんかんのカミングアウトがほとんどいないのは、それだけ世間の偏見、風当たりが強いからなのだろう。山形ではてんかん患者に対して、「アレは“ねずみの血”が入っているから」と言われ縁談が不成立になるケースが未だにあるといわれている。メジャーな病気であり、治療次第では普通の生活が送れる病気であり、遺伝病でないにも関わらずである。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 現在、てんかん患者の7〜8割は適切な治療によって、普通の生活を送ることができるようになっています。確実な診断を経て、薬物治療、生活指導を継続し、必要であれば外科手術を行なうことで、多くの患者は何事もなく日常生活を送れるということです。

 

 それでもなお、てんかん医療には大きな問題があります。その理由の一つは、これまで述べてきた偏見の問題であり、いまひとつは診断の難しさと専門医の不在という問題です。

 

 てんかんの診断は難しいものです。てんかんの専門医である私でも、誤診してしまう可能性はゼロではありません。なぜならてんかんには「この検査で確定できる」「この数値を見ればわかる」というものがないからです。

 

 診断を確定するためには、様々な視点からじっくりと患者を診てデータを精査することが必要です。具体的には、「問診」「発作のモニタリング」「脳波解析」が必要となります。問診だけでわかるケースもあれば、入院させて発作の状況を見て判断することもあります。最終的には脳波を調べ、これらの状況とデータを複数の医師で検討して「てんかんか否か」「どのようなタイプのてんかんなのか」を診断します。


 いずれにせよ、複数の医師が診断すること(患者にとってはセカンドオピニオン)が必要なんですね。ある医師に言わせれば、「てんかん患者に限っては、たらい回しの方が幸せ」ということです。


 日本てんかん学会の会員(専門医)は約300人ですが、都市部に多く地方に少ないという偏在が常態化しています。加えて絶対数も少ないことから、非専門医による治療が日常化しているのが現状といっていいでしょう。日本で発売されている抗てんかん薬の80%は、専門医以外の医師によって処方されていると見られています。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 てんかんのことを良く知らない医師が、診断をつけて薬を処方する——ある意味、とても恐ろしいことがまかり通っているという。ただ、最近の抗てんかん薬は使い勝手が良く、副作用も少ないことから、「専門医ではない医師であってもてんかんの基礎的な講習を受ければ使いこなすことが可能」(中里教授)としている。

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 新しい抗てんかん薬の一般的な特徴としては、「広いスペクトラム」「強い発作抑制力」「少ない副作用、相互作用」「簡単な処方(投与量の調節が容易)」であることが上げられます。90年代以降、欧米ではより効果が高く使いやすいモノが上市されていますが、これらの製品は「ドラッグラグ」により10年程度遅れて日本に入ってきます。

 

 専門医以外の医師がてんかんのことを学ぶこと、一般の方々がてんかんのことを知り、偏見をなくすことは、てんかんの治療に勝るとも劣らないほど大切なことと考えています。そのためには講演で話をする、医師の前で講習を行なう以上に、マスコミの方々に啓蒙活動をしていただくことが大切であると考えています。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 てんかんになって困ることは何か? 肉体的なことだけを考えれば、せいぜい「湯船に目一杯お湯をいれて入浴できない」「車の運転は危険過ぎてできない」ことくらいだろう。これさえも適切な治療をすれば無理なくできることだ(てんかん患者でも運転免許証は取れる)。しかし、実際には周囲の偏見が根強すぎて、就職の機会を失い、結婚もできず、旅行にもいけず……という患者が数多くいるうえ、医師にも無知と偏見があり「10年以上誤った診断と治療を受けていた」というケースが少なからずあるという。

 

「てんかんは遺伝病」「てんかん発作には口にモノを詰める」という無知と偏見を持っていたことを自戒するとともに、てんかんへの偏見をなくし正しい知識を身につける大切さを実感したセミナーだった。(有)