ムーヴコンテは、自宅から10キロの北上町橋浦で見つかった。ダッシュボードのティッシュは全く濡れてはいない。その近くで、佐々木さんは遺体となって・・・・・・。


「もう、諦めています」。宮城県石巻市医師会の舛眞一会長を取材している時だ。舛会長の傍らで話を聞いていた新妻博事務局長は、こう漏らした。石巻市医師会は震災翌日から、市との災害協定に基づいて、被災者が集まる避難所を巡回して被災者の治療に当たることになった。医師会の会員となっている開業医は80人だ。被災直後は9人だった巡回医師は、29人に増えている(20日現在)。

 

 舛会長の手足となって、医師の割り振りなどで奔走するのが新妻事務局長だ。インタビューの途中、「ご家族は無事ですか」との記者の問いに新妻事務局長は、「嫁いだ私の娘と孫の行方がまだ」。そう言って、赤く充血させた目から涙を溢れさせた。

 

 長女の佐々木かおりさん(33)が、同じ石巻市の沿岸部である北上町の漁村に嫁いだのは5年前。震災時、長女の理沙ちゃん(4歳)は、隣の集落の高台にある保育園に預けていて、無事だった。かおりさんは陽菜ちゃん(2歳)を連れて、約20㎞離れた石巻市中心部に買い物に行っていた。保育園にいた理沙ちゃんを午後3時50分までには迎えに行くはずで、その途中、かおりさんは被災したらしい。

 

 私たちは、かおりさんの嫁ぎ先である北上町十三浜へ向かう道を車で辿ってみた。国道398号線を通る最短ルートは、北上川にかかる新北上大橋が崩落しているため使えない。迂回して水量の多い北上川の北側堤防沿いの道路を沿岸部に向かって走る。津波が、北上川沿いに上ってきたのだろうか。地図にはない大きな湖ができている。そのなかに、民家の屋根だけが浮かんでいる。村全体が水の中に沈んでいる。

 

 さらに進むと、道路が水没し行く手を阻む。轍の残る細い泥道を縫うようにして走る。迫波湾に近付くと、目を覆った。入り江ごとにあるはずの集落がことごとく消えている。あるはずの民家の屋根が、全く見当たらない。15メートル以上はあろう石垣に魚網がひっかかり、浜風になびいている。想像を絶する光景だ。

 

 この地域は、地震から45分後の午後3時30分頃に津波を観測した。3時50分に保育園に到着するためには、3時には石巻市中心部を出発する必要がある。大きな揺れを感じたかおりさんは、理沙ちゃんの待つ保育所に急いで車を走らせたに違いない。かおりさんと陽菜ちゃんを乗せたブドウ色の乗用車ムーヴコンテは、津波が押し寄せた当時、ここら辺を通っていたはずだ。だとしたら…。

 

 かおりさんの自宅があった漁村で偶然、夫の佐々木忠男さん(40)に会えた。「まだ諦めてはいませんが、探すにもガソリンがない。(生存は)五分五分です」。

 

 北上町からの帰り道、再び新妻事務局長に会った。記者の「医師会の仕事を休めないのですか?」との質問に、新妻事務局長はこう返した。「私がいなければ、巡回診療が回りませんから」。1階が浸水して停電が続く自宅の2階の暗がりで、妻のひろこさん(59)と「諦めよう」と決めた。震災から1週間後の18日の夜だった。