バイタルネット石巻支店ではMSによる綱渡りの配送で医薬品を病院へ届けた。写真は雫石支店長ら。
綱渡りの配送だった。医薬品卸のバイタルネット石巻支店の雫石豊年支店長は、電話が通じない医療機関からの注文を受けるため、社員を拠点病院に張り付けた。そこで手書きの発注書を受け取り、支店に戻って薬を届けるためだ。支店にストックのない医薬品は、普段なら宮城県名取市の名取物流センターに発注して配送するのだが、電話が通じない。やむを得ず約50㎞離れた物流センターまで、備蓄されている医薬品を車で取りに行かなければならない。
震災前なら1時間で行ける距離だが、一般道は寸断され、東北自動車道も緊急車両以外の通行が止められている。国道を通ると1時間半はかかる。石巻赤十字病院を担当する宮東嘉彦課長らが病院に張り付き、本社から応援に駆けつけた佐藤光男課長らが、石巻支店から物流センターまでの往復を担うピストン輸送が始まった。
震災翌日の12日のことだ。石巻赤十字病院の透析膜が足りなくなった。13日未明の午前2時までに200人分を納入しないと間に合わない。多くの病院が被災して、透析が受けられない患者が殺到しているためだ。だが、バイタルネットでは、その製品を扱っていない。神奈川県川崎市のメーカーに依頼したところ、午後11時に名取物流センターまで届けてくれることになった。
雫石支店長と佐藤、宮東両課長の3人が、透析膜を受け取りに物流センターまで車を走らせた。緊急車両の許可を受けていないから、東北自動車道は通れない。ダメもとで東北自動車道の検問所に寄ってみた。病院からの注文書を警察官に見せると、すんなりと緊急車両許可証を発行してくれた。応援に来ていた石川県警の警察官だった。
1時間ほどで物流センターに着いたが、今度は、透析膜を載せたトラックがなかなか来ない。道路事情が悪く、予定時間を3時間もオーバーした午前2時過ぎに、やっと届いた。その透析膜を持って石巻赤十字病院に引き返す。午前3時40分。約束した納入時間には間に合わなかったが、薬剤課長は頭を80度近く下げて、礼を言ってくれた。
「こんなときに、本当にご苦労さまでした」。その薬剤課長がまだ家族との連絡が取れていないことを知っていた宮東課長は、やつれた薬剤課長の顔を見ながら「届けられてよかった」と思った。
地震発生時、石巻支店の佐々木哲哉氏は、担当する石巻市立病院に向かっていた。海岸沿いにある病院に到着直後、津波がきた。駐車場に止めてある車が飲み込まれていくのを、目前で見た。以来、病院に閉じ込められ、コートも毛布もない佐々木氏は2晩、寒さに耐えた。津波の水が引いて支店に戻れたのは、2日後だった。
佐藤課長の実家は石巻市にある。支店の2階にダンボールを敷いて寝泊りを続けた佐藤課長は、仕事の合間に避難所を探し歩き、5ヵ所目で家族の無事を確認できた。被災地の医療は、同じ被災者によって支えられていた。