今週の週刊文春では、山形大生による眼科医殺害事件を扱ったワイド特集の1本が目を引いた。タイトルは『女医殺し 山形大生を変えた新潟名門校イジメ』。事件の内容は未だ謎だらけだが、容疑者の人物像を知るうえで興味深い記事だった。


 それによれば、容疑者は新潟出身で、父親は脳神経外科医。中学時代は文武両道で、卓球部のエースとして活躍する一方、高校入試では県内一の進学校に合格した。しかし、彼はいじめが原因で、高校中退を余儀なくされ、通信制高校から山形大人文学部に進学するという“回り道”をたどっている。10代の挫折で刻まれた傷跡は、国立大合格という“逆境からの挽回”でも癒されないものだったのか。より詳しい解明が待たれる事件である。


 比較的恵まれた家庭環境で育ったかに見える人物が手を染める血生臭い凶行。その意味では、大阪・吹田市の交番で警察官を包丁で刺し、拳銃を奪った容疑者は関西テレビの役員が父親だし、世を恨み、引きこもりになった息子を父親が刺殺した東京都練馬区の事件は、元農水事務次官という高級官僚の家庭で起きたものだった。前者のケースでは、文春は『大阪拳銃強奪犯 エリート父への愛憎30年』という記事も載せている。


 事件報道というジャンル全体を見渡すと、最近はもう、ある程度力を入れる週刊紙媒体は、文春と新潮の2誌だけになってしまった。現場で聞き込みを重ね、関係者を訪ね歩く粘り強い報道は、旧来のジャーナリズムでは取材記者の基本動作とされてきたが、お手軽なインタビュー記事などと比べると、労力や取材費がどうしてもかさむ“高コスト”の記事になってしまう。しかも最近は、“事件モノ”そのものを好む読者が減り、雑誌の売上げにもつながらないらしい。


 かく言う私自身、“事件モノ”の良い読者だったわけではない。取材者としても、その昔、新聞社の社会部員だった時代から、事件報道にはあまり気乗りしなかった。そこにはたぶん、「宮崎勤事件」以後の変化の影響もある。それ以前、昭和期を振り返れば、事件報道は社会矛盾を映し出す鏡と捉えられていた。殺人の動機は、ほとんどがカネ目当てか怨恨で、記者たちはその背後に横たわる貧困や差別を描こうと目指したものだった。


 しかし、宮崎事件以後、酒鬼薔薇事件、池田小事件など、犯罪の動機がわかりにくい事件が増えていった。事件の持つ“社会性”が薄くなり、容疑者のパーソナルな“心の闇”が問われるようになった。若き日の私は、そんな漠然とした印象から、事件を報道する意義を見失っていったのだ。


 だが、ここに来て目立つ事件には、個々人の“心の闇”のさらにその先に、どこか共通した社会の病根が透けて見える気がする。似た印象の事件が頻発する現象そのものが、今日の社会問題に思えるのだ。


 メディア全体の事件報道が昔より浅くなった背景には、「加害者の人権でなく、被害者や遺族に寄り添った記事を書け」という世論の風潮もおそらくある。「死ぬのならひとりで死ね」という先だっての有名人の炎上発言も、突き詰めれば「加害者の事情など知ったことではない」というムードから生まれている。


 確かに、司法手続きを考えれば、加害者を知ることは“情状面の強調”と映るかもしれない。だが、社会全体で予防策を考えるうえでも、わかりにくい加害者の“闇”について私たちはより深く知る必要がある。だからこそ、コスパの悪い事件報道に、いま一度、各メディアは力を入れるべきだと思うのだ。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。98年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。07年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って』(ともに東海教育研究所刊)など。最新刊に沖縄県民の潜在意識を探った『国権と島と涙』(朝日新聞出版)がある。