屋内退避圏内には自衛隊が医薬品を運んだ。

 

「どうやって運んだらいいんだ」。福島第一原発事故で、政府から屋内退避が要請された30㎞圏内には、福島県南相馬市の4つの病院が含まれていた。

 

 11日の地震直後、医薬品の全国卸であるメディセオ福島支店の青野成紀支店長に圏内の南相馬市立総合病院から「薬はありますか」と打診された。メディセオの物流センターは埼玉県加須市で、震災の影響は少ない。「大丈夫。あります」と答えた。それを伝え聞いたのだろう。南相馬市の他の病院からも問い合わせが相次いだ。

 

 ところが15日、その南相馬市が屋内退避の圏内に入ってしまった。これらの病院には、医薬品を届けることができなくなってしまう。地震、津波、放射能の三重苦に陥った圏内の病院はパニックに陥ったはずだ。

 

 ある病院から連絡があった。「薬が足りない」。青野支店長は「30㎞圏内だから配送方法を考えないと」と返した。「それでは、圏外まで取りに行く」。だが、これまで取り引きのなかった病院で、相手の顔も知らない。「病院の薬剤師であることを証明するものがないと渡すわけには…。でも、なんとしてでも届けますから」。そう約束した。

 

 青野支店長が病院とそんなやり取りを続けているとき、東北を中心とした医薬品卸の恒和薬品では、別の問題が持ち上がっていた。恒和薬品の南相馬営業所が屋内退避圏内に入ってしまったのだ。今度は、卸が医薬品を持ち出せない。恒和薬品は県薬務課に相談した。南相馬市に隣接した相馬市の相馬中央病院から「透析液が足りない」と、震災前から発注を受けていたのだ。これを運ばないと病院が窮地に陥る。県薬務課が、相馬市の地元を管轄する相双保健福祉事務所に「薬を恒和薬品から受け取って病院に届けるように」と指示をしたのが15日の夕方だった。すぐに恒和薬品から透析液など100箱以上の医薬品を受け取り、その日のうちに相馬中央病院へ届けることができた。

 

 4時間の透析時間を2時間に減らすなどしてやり繰りしていた相馬中央病院の滝内正博事務長は「今月いっぱいの目処がついた」と胸を撫で下ろした。だが、相双保健福祉事務所は放射線のスクリーニングで人手が足りず、毎日届けるのは無理だ。県薬務課が自衛隊に打診し、30㎞圏内の病院へは今後毎朝、自衛隊が搬送するシステムが、その日のうちに決まった。

 

 16日朝、各医薬品卸は朝の9時半までに、県庁正面の噴水広場に集まった。30㎞圏内の病院への医薬品を自衛隊に運んでもらうためだ。自衛隊の高機動車が横付けされ、次々と荷物が積み込まれる。もちろん、メディセオが受けた発注分もだ。

 

 翌17日、その南相馬市の病院で入院患者1人が亡くなった。テレビの報道で、その一因が「薬不足」と指摘された。東北医薬品卸業連合会の小野真士事務局長(バイタルネット社長室長)は、すぐにテレビ局に抗議の電話を入れた。「自衛隊が医薬品を持ち込むシステムができたのをご存知ですか」。薬のせいにされるのは、どうしても悔しかった。いていた。畠山さんも、泣いた。学校を守れてよかった。4月1日から、病院勤務に復帰するつもりだ。