バイタルネットの拠点となった名取物流センターは、寸前のところで津波から逃れた。各支店の被災状況をまとめたホワイトボードに ○印(復旧)を書き込む一條武営業本部長。

 

 かつて経験したことのない横揺れだった。 東北地方を中心とした大手医薬品卸のバイタルネットの営業部門を統括する一條武取締役営業本部長は、宮城県仙台市青葉区にある仙台本社4階にいた。月1回の定例営業本部会議の休憩時間だった。午後2時50分から再開される会議のために、出席者30人のほとんどが着席していた。

 

 11日午後2時46分。大きな揺れが始まった。

 

 多くの出席者がしゃがんだり、机の下に隠れたりするなか、一條本部長は大型のブラウン管テレビが倒れないように両手で抱え込んだ。少林寺拳法で鍛えた175センチ100キロの巨漢をしても、巨大地震には抗しきれなかった。テレビは手をすり抜け、床に吹っ飛んだ。

 

 揺れがおさまると、一條本部長は対策本部を宮城県名取市にある名取物流センターに置くことを決めた。約1万2000種類、30万個以上の医薬品を保管して医療機関に供給する、いわば東北地方の生命線だ。

 

 仙台本社から直線距離で約10キロ離れた名取物流センターは、最新のコンピューター管理システムを誇る。だが、停電で電気がストップしてしまっては役に立たない。特に、心配なのは保冷庫だった。ワクチンやインスリンなどをすぐに移し替える必要がある。

 

 上野勝己物流企画室課長の陣頭指揮で、暗がりのなか手探りで医薬品を運び出し、約30人がバケツリレーで保冷車へ運ぶ。強い余震で、建物が大きく揺れる。怖くて震えながら運ぶ社員もいる。だが、だれも逃げ出さなかった。倉庫内の棚から、医薬品が床に落ちて散乱した。これから寄せられるであろう医療機関からの大量の注文に対応するには、種類ごとに整理しなければならない。暗がりの作業は限界がある。自家発電機を使って急造の蛍光灯をつくり、作業を続けた。

 

 そのころ一條本部長は、仙台本店に留まって情報収集をしていた。社員の安否と各支店の被災状況を把握したい。が、電話が通じず、停電でテレビも見られない。携帯電話のワンセグで、津波が街を飲み込む様子が放映されていた。「大変なことになった」。

 

 被害のひどい沿岸部の宮古、釜石、大船渡、気仙沼、石巻のほとんどの支店と連絡が取れない。社員の安否もわからない。一條本部長は社員に伝えた。「まずは自分の命を守れ。被災者が被災者の命を救うんだ」。

 

 社員が生きてこそ、医薬品を運ぶことができる。そのためには、なんとしても自分の命を守る必要がある。そういう思いからだ。沿岸部を襲った大津波は、物流センターの約1㎞手前まで達していた。

 

 仙台東部自動車道路の土手が、津波の勢いをそいでくれたおかげだ。危険がすぐ近くまで迫っていたことに気付いたのは翌日のことだ。そして、ひとりの行方不明者も出なかったことがわかったのは、震災から1週間後の18日だった。

 

 東日本大震災の被災地の「医療」現場を連載でレポートする。