石巻赤十字病院の前には臨時薬局が設営された。
さながら、野戦病院のようだった。宮城県石巻市にある石巻赤十字病院は、市内でも病院機能が失われずに残った数少ない病院のひとつだ。次々と運び込まれる患者は玄関前で、重症度によって緑、黄、赤、黒のタグが付けられる。軽症、中等症、重症、そして最後の黒が、手の施しようのない患者だ。ロビー内が区分けされ、それぞれのタグの色によって指定された区分に運び込まれる。いわゆるトリアージだ。
阪神大震災のときと決定的に違うのは、運び込まれる患者の多くが外傷ではなく低体温症だったことだ。地震でけがをした人は、そのまま津波に飲み込まれて行方がわからなくなり、かろうじて助かった人は長時間寒さに耐えるから低体温症になる。
被災翌日から全国の赤十字病院の医師らが駆けつけた。個人で応援に来た医師を含めると、23日までに延べ約1100人が入れ代わり立ち代わりやってきた。玄関前には、応援組が持参した大型テントがいくつも立てられ、院内の通路という通路に休憩を取る応援組が寝転がる。重症患者を受け入れるこの病院には、初日が99人、2日目は779人、そして3日目には1251人の患者がやってきた。
非常事態を陰で支えたのが、地下1階にある薬剤部の薬剤師たちだった。被災した他の医療機関から透析患者が流れてくれば、対応するだけの医薬品が必要だ。破傷風ワクチン「トキソイド」などの在庫は、元々少ない。製薬会社の工場が損壊したため供給がストップした甲状腺ホルモン剤「チラーヂン」の確保も緊急を要した。医薬品卸や県担当部局との交渉も請け負った。ストックがなくなれば、同じ薬効の代替品や後発品を使う。薬の知識を持つ薬剤師ならではの貢献だ。
震災2日目、届いたはずの破傷風ワクチンが所在不明になった。早く保冷庫に入れなければ、せっかくのワクチンが無駄になる。我妻仁薬剤部長が自ら走って探し回っているとき、右足をくじいてしまった。以降、松葉杖で仕事を続けている。我妻部長は、門前に控える4店舗の薬局に協力を求めた。
その門前薬局のひとつ、全国チェーンのファーマライズ薬局にいた瀬戸聡管理薬剤師のところへ震災当日、我妻部長が率いる赤十字病院の薬剤師が飛び込んできた。「インスリンが足りない」。瀬戸氏にとっては、近くにいながら顔も知らない薬剤師だったが、あるだけのインスリンを渡した。その後も、何度もやってきた。病院から受け取る処方せん枚数も倍以上に増えた。
ファーマライズ薬局では瀬戸氏が唯一の薬剤師だ。震災以来、ずっと泊まり込む。何日目からだったか、我妻部長の病院薬剤部から食事が届けられるようになった。「ともに頑張ろう」というメッセージだと受け止めた。瀬戸氏は、薬剤部のミーティングにも参加する。これだけの患者が殺到しているのに、赤十字病院の薬剤師は十数人しかいない。みんな疲弊して目が腫れている。薬剤部と薬局が一体にならなければ乗り切れない難局だ。病院が頑張っている限り、逃げるつもりはない。この震災を機に、薬剤師の役割が大きくクローズアップされている。