水無月である。水が無いと書くのに梅雨入りして湿度が最も高い日が続く時期である。京都市内はちょっとずつ祇園祭の準備が始まる時期で、鉾町では、ちまき作り、宵山の店番や巡行当日の和装着付け等のボランティア募集のほか段取り確認の寄り合いなど、なにかと普段とは違う雰囲気と時間の使い方が展開する。次の朔日からやなあとぼんやり考えながら、和菓子屋さんのショーケースの中の水無月を眺めては、日の経つのが早いことに嘆息する、そんな時である。


 雨天が多くなるのでこの時期に薬用植物園を見学する団体は多くないのだが、実はこの時期は黄金週間前と並んで開花している薬用植物が多い時期のひとつである。開花しているのはクチナシ、ドクダミ、アマチャ、ノカンゾウ、ウラルカンゾウ、スペインカンゾウ、トウキ、キキョウ、チョウセンアサガオ、キササゲ、ザクロ、ウマノスズクサなどなど。コガネバナやヤマノイモ、クララ、ヤマユリなどは気の早い株の花が咲き始めている。ウメやアンズ、ビワは実の収穫時期だし、ウンシュウミカンやカキは花が終わって青い小さな実になっている。ヒガンバナの地上部は枯れ果て、カラスビシャクも地上部はもうほとんど無い。でも、傘をさして歩くことと足元が濡れることを厭わなければ、かなり楽しめる様相なのである。


 けっこうたくさんの植物名を並べたが、“カンゾウ”が3つ並んでいることにお気づきになっただろうか。カタカナで書いてもややこしいが、文字にせず話の中で出てくるだけだともっとややこしい。3つの植物はどれも同じ仲間のようだが、実はひとつはまったく異なる仲間の植物である。漢字混じりで表記すると区別がつく。それぞれ、ウラル甘草、スペイン甘草、野萱草、である。


 ウラル甘草とスペイン甘草は、薬用植物の中では最もよく知られた、また生薬の中では使用量が最も多い「カンゾウ(甘草)」の基原植物である。日本に自生はなく、ほぼ100%が輸入品でまかなわれている。詳細は以前にこの欄でも取り上げたことがある。


ノカンゾウ 


スペインカンゾウ 


 野萱草は、実は一般の方々が「(植物の)カンゾウ」と聞いた時に想像される多くの場合がこちらの方である。近縁のものにはヤブカンゾウとかニッコウキスゲなどが挙げられる、ユリ科の植物である。蕾は薬用としても紹介されるが、むしろ近年はまだ青い蕾を“金針菜(キンシンサイ)”と称し、山菜のひとつとして天ぷらなどの料理に使われることが多いようである。


 野萱草の仲間は刀のような細身の葉で茎は地上にほとんど見えておらず、花茎は硬くて細くて葉が付かず、草姿が邪魔になりにくく、花茎が細い割には大きな花を茎のてっぺんに複数つける。ノカンゾウやヤブカンゾウの花は朱色と橙色の合いの子のような目立つ色で、いわゆる一日花でしぼんだ後はポロリと落ちてしまう。繁殖力も旺盛だし、庭に植栽するのにはあれこれ都合がいい性質の植物なのである。


 このためであろうか、造園業の方と話をしていてカンゾウが話題に出ると、どう説明しても野萱草のことであると堅く信じて話を進められることが多く、びっくり仰天の経験をしたことがある。


 もう十数年前の話になるが、規制緩和で薬学部が一気にたくさん新設された時期があった。薬学はいわゆる理系の学問の中でも幅広く多くの分野をまんべんなく勉強する分野で、教育・研究に必要とされる設備は多岐にわたる。その薬学部あるいは薬科大学に必ず設置すべしと文部科学省により定められている施設のひとつに薬用植物園がある。


 どのようなものを作れという詳細な規定は書かれていないので、それぞれが面積や設置場所についても、また植栽する植物の種類等についても自由に決められる。しかし、自由ということはよく慣れた者にとってはありがたいことだが、門外漢は逆にどうしていいのか途方に暮れてしまったようで、そんな新設薬学部から、どうしたらいいのか教えて欲しいとか、植栽する植物の苗の入手方法を教えて欲しい、あるいは苗を譲って欲しいというリクエストがたくさんやってきた。


 なかには、設計から全部丸投げで筆者に依頼してきたところもあった。くだんのカンゾウでびっくりしたのはその件である。


 指示された図面に区割りを決めて、それぞれ植栽する植物名を記入し、植物の種類としては造園業者が種苗会社や苗木屋から入手できるものも多いものの、販売してなさそうなものについては何処から入手可能かもメモ書きしておいた。そこは面積的には田んぼ1枚ほどの狭いところで薬学教育に必要最低限の薬用植物がようやく植えられるかどうかであったのだが、半年ほど経ってようやく、「完成したので見に来てください!」と連絡がきた。


 行ってみると狭いながらもそれなりに講義や実習には使えそうな感じに仕上がっていたが、ひとわたり見て廻ってふと気がついた。図面に描いたはずのカンゾウが見当たらないのである。どの場所に植えるように描いたかはほとんど忘れていたが、カンゾウは薬用植物園の最重要アイテムのひとつであるので、記入し忘れたということはありえない。案内してくれていた担当教員に「カンゾウは何処に?」と聞くと、「ここです!」と自信たっぷりに指し示してくれたその先に植わっていたのはノカンゾウであった。しばし呆然としてしまったが、事情がわかって大笑いした。


 ウラル甘草もスペイン甘草も、薬用植物園ならいずれかは植栽されている確率が高いものの、園芸植物としては一般的ではないので、どちらかを知り合いの薬用植物園関係者から入手して植えるようにと、筆者は図面に敢えてウラルともスペインとも書かず、カンゾウと書いて入手候補先の園の名前を書いておいたのだが、これが裏目に出た。工事を請け負った造園業者には“カンゾウ”は“萱草”しか思い当たらず、薬用植物をよく知らない担当教員は他から苗を譲渡してもらうのも面倒だと思っていたところに、造園業者がカンゾウなら自分のところで準備できると申し出たのでそのまま頼んだ、というのである。とんだカンゾウ違いであった。


 この出来事があってから、薬用植物園の図面には「カンゾウ」とは書かずに「ウラルカンゾウ」とか「スペインカンゾウ」と書くようにしている。梅雨時の鮮やかなノカンゾウの花を見ると、しばしば思い出すカンゾウ話である。


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伊藤美千穂(いとうみちほ)   1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省、内閣府やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。