金沢大学大学院
医学系研究科皮膚科学教授
竹原 和彦氏


 アトピー性皮膚炎は治療法がわかっている病気であり、皮膚科医にとっては“やさしい病気”でもあります。

 

 という話からスタートした金沢大学大学院医学系研究科皮膚科学・竹原和彦教授の講演『アトピー性皮膚炎医療の混乱を考える』。なんとなく「アトピー性皮膚炎=難しい病気」と感じていた人にとって意外に聞こえるのではないだろうか。実際、少なくない患者が難病であるかのように思い込んでいるといっていい。

 

 アトピー性皮膚炎を原因とするいじめ、ひきこもりなど、病気を苦にしての対人関係コンプレックスや社会生活からドロップアウトしてしまうケースは少なくないそうだ。こうしたことを苦にした自殺や、一家心中といったいたましい事件も少なからず起きているという。講演ではこうした事例について、いくつかの新聞記事をスライドで示しながら「表に出てきたごく一部の事例」と紹介していた。

 

 原因不明の難病や不治の病であるのならばまだしも、皮膚科医の指導のもと、適切な治療を受けられれば、症状が改善する可能性が極めて高い——という皮膚科医にとって“やさしい病気”であるにも関わらずである。

 

 なぜ、患者サイドにこのような誤解が広がっているのか? 結局のところは、患者サイドにアトピー性皮膚炎についての正確な情報が伝わっていないためであろう。実際、80年代以降は、患者サイドの情報不足につけこむ形でアトピー性皮膚炎医療についての様々な混乱が起きた。

 

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 アトピー性皮膚炎の原因は全て食事にある、という考えから提唱された「厳格食事療法」。これは80年代半ばに広まりました。これはアレルゲンになる、これは大丈夫、といった具合で厳格に守れば水しか飲めないのでは? というくらいのものでした。

 

 90年代前半にはステロイドバッシングが本格化しました。その嚆矢となったTV番組の特集で、番組の最後に司会者はこう言ったものです。

 

「ステロイドは大変な薬です。最後の最後まで使わないでください」と。

 

 これで次の日から、「ステロイドは使わないでくれ」という患者が殺到しました。これ以降も新聞などで“薬害”として一方的に報道され、患者サイドに“ステロイドアレルギー”が起きてしまったかのようになったのです。

 

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 アトピー性皮膚炎医療の混乱とは、つまるところ「患者サイドに芽生えた根強いステロイド不信」につきるといえよう。では、いかにしてステロイド不信が発生したのだろうか? 一つのキッカケとしては、80年代になり安易なステロイド製剤の使用による副作用(酒さ様皮膚炎など)の増加が問題視され、これによる訴訟が提起されたことが挙げられる。92年にはテレビ朝日のニュース・ステーションによるステロイド薬害特集が組まれ、バッシング報道はピークに達した。

 

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 ステロイド不信は、80年代には「ステロイドは副作用があるから怖い」。90年代になってからは「ステロイド薬害で廃人になってしまう」という形で表出しました。こうした不信感を背景に、90年代半ばには「ステロイドを使うとアトピー性皮膚炎が悪化する」という見方や、「ステロイドを使うことでアトピー性皮膚炎を発症する(ステロイド誘発性アトピー性皮膚炎)」といった考え方が出てきました。こうした考え方が出てきたのは、古今東西でもこの時期の日本だけです。また、こうした意見は全て医学的論文には発表されず、新聞に掲載されていました。

 

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 そして、こうしたステロイド不信に乗じる形で一世を風靡したのが、「アトピービジネス」である。

 

 アトピービジネスとは、「アトピー性皮膚炎患者を対象とし、医療保険診療外の行為によってアトピー性皮膚炎の治療に関与し、営利を追及する経済活動」と定義づけられる。科学的に十分に有効性、安全性が検証されていないこと、標準治療を完全に否定することが特徴で、医療機関が関与、実践するものも含まれる。

 

 竹原教授は、反アトピービジネスの急先鋒として活躍してきた。マスコミでの活動では、98年12月に金沢大学でのアトピービジネス被害調査結果を読売新聞社会面のトップ記事に掲載したことを皮切りに、99年5月には週刊文春による「反アトピービジネス」キャンペーンに寄稿。00年6月に文春新書「アトピービジネス」を発刊——と活躍。01年以降にはアトピービジネスに関する民事、刑事訴訟が多発した。こうした活動に加え、日本皮膚科学会が「アトピー性皮膚炎治療ガイドライン」を策定、公表したことでステロイド外用薬に対するバッシングも和らぎ、結果、アトピービジネスは目に見えて衰退していった。

 

 アトピー性皮膚炎とは、「ステロイド外用剤を適切に使用すれば治療することができる」病気である。難病でもなければ不治の病でもない。ステロイド外用剤を使った治療法は、既に多くの医学論文が提出され、これを基に世界各国で議論がつめられ、医学的に検証されたものだ。発症の原因は完全に特定されていないが、その治療法についてはほぼ確立されているといっていいだろう(もっともステロイド外用剤の治療については、中止の際のリバウンドも指摘されている)。

 

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 患者さんにアトピー性皮膚炎治療について説明するときには、「サラ金の借金」に喩えて説明しています。

 

 アトピー性皮膚炎の症状が借金であれば、

 

 ・ステロイド外用薬による治療は  「元本を返す」

 

・抗ヒスタミン製剤による治療は  「利率を軽減する」

 

・保湿剤による治療は  「借入金を増やさない」

 

・シクロスポリン製剤による治療は  「利息をしばらく猶予する」

 

 という形で当てはめられます。患者さんが不快に思われたら、この喩えも止めようと考えているのですが、今のところは受け入れられているようですね。

 

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 こうしたわかりやすい喩えや軽妙な説明をベースに患者とコミュニケーションを取り、早くから信頼を得て適切な治療を指導すること——これがアトピー性皮膚炎治療の勘所なのだろう。


 言葉を換えれば、治療メソッドは知っていても患者との信頼関係を上手く構築できない皮膚科医が少なからず存在していることも、アトピー性皮膚炎医療が混乱している原因の一つなのかも知れない。ただ、混乱の最大の原因は「患者サイドの無知」なのではないだろうか?

 

 メディアの煽り、皮膚科医の力量不足もあろうが、患者サイドに少しでもメディアリテラシーの心がけ——メディアの言うことを盲信しない。論者の肩書きに惑わされない。新たな情報を得たら複数のソースで確認する……といった検証精神——があれば、「アトピー性皮膚炎=難病」と思い込み、怪しいビジネスに絡め取られる可能性を減らせたはずだ。

 

 メディアリテラシーといっても難しいことではない。複数の医師の話を聞く。新聞、雑誌だけでなく医学誌や解説書にも目を通して見る。同じ傾向のものを読むのではなく、全く違った立場のものも読んで見る(例えば『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著)を読んだら、『にせユダヤ人と日本人』(浅見定雄著)を読むとか)など、少し手間を掛ければ誰にでもできることだ。

 

 5月には医薬経済社からアトピー性皮膚炎に関する極めて平易な解説書  『アトピー治療の常識・非常識』(医学博士・清益功浩著) が発刊されたが、この本を手に取られた方も、内容について盲信するのではなく、他の書籍とクロスチェックしながらじっくりと読んでもらいたいものだ。(有)