都道府県ごとの「地域医療ビジョン」の策定、医療機能の分化、電子カルテの整備、国民健康保険制度の改革、全人的なケアを提供する「総合診療医」の制度化……。政府の「社会保障制度改革国民会議」が先月まとめた報告書( )では、医療・介護制度について様々な改革策を盛り込んでいる。


 しかし、今回の改革策には過去30年の論議で一度浮上したものの、関係者の反対で押し潰された項目も含まれる。政府は改革の道筋を定めたプログラム法を制定するとともに、医療法改正などの作業を進める予定だが、「失われた30年」を取り戻せるのだろうか。


レインボーシステムの挫折


「国民皆保険制度発足以来の大事業」「介護保険創設時に匹敵する難作業」—。国民会議の報告書は掲げた諸政策の実現に向けて、並々ならぬ決意を示している。「団塊の世代」が75歳を迎える2025年までに医療・介護制度改革を進めなければ、保険財政やサービス供給が持たなくなるとの危機感の現われであろう。確かに医療機関の機能分化、国保の都道府県単位化など、長年の懸案に一定の道筋を付けた点は評価できる。


 その一方で、多くのテーマが過去、議論されていたことに気付く。例えば、レセプト(診療報酬明細書)やカルテの電子化について、報告書は以下のように指摘している。


医療関連情報の電子化・利活用のインセンティブを医療提供者に持たせるように取り組むとともに、医療保険者がICTを活用してレセプト等データを分析し、加入者の健康づくりを行うなど疾病予防の促進等を図ることで、国民の健康寿命を延ばし、平均寿命との差の短縮を目指していかなければならない。(国民会議報告書26ページ)


 ここに幾つかの補助線を引くと、政府の意図が見えて来る。例えば、6月に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針について」(骨太方針2013)には医療介護の情報化に関する5年間の工程表を策定すると規定。規制改革会議の答申を踏まえて、同月に閣議決定された「規制改革実施計画」では工程表策定について、「年度内に措置する」と定めている。


 さらに、同時期に閣議決定された成長戦略の「日本再興戦略」を見ると、健康保険組合のレセプトデータの利用を促す告示改正に加えて、国が所有するレセプトデータの利活用もうたっており、厚生労働省の14年度予算概算要求に必要経費が計上されている。これらの動きを総合すると、健康・医療・介護情報のデータベースを整備することを通じて、健康寿命の延長や給付費の適正化、健康関連作業の育成を目指そうという意図が分かる。


 しかし、同様の政策は1980年代にも一度議論された経緯がある。厚生省がレセプトの電子化案を打ち出したのは83年。当時の構想では手書きによるレセプトを磁気テープやフロッピーデスクに切り替えるとともに、傷病名や医薬品名、診療行為にコード表を付すことで、レセプト審査や事務処理に要する手間を省力化することや、医療費の適正化を目指していた。構想は「オンラインによる伝送を通じて、医療機関や審査機関、保険者を渡す虹の架け橋」という意味が込められ、「レインボーシステム」と名付けられた。


これに対し、保険診療収入など医師の収入データが中央で把握されやすくなることや、医療費抑制に繋がることを恐れる医師からの反発が出て、構想は頓挫した。


 その後、11年度からレセプトのオンライン提出が義務化され、レセプトの電子化は今年5月現在で92.3%(件数ベース)まで上昇したが、電子カルテの普及は遅れている。昨年の通常国会で成立したマイナンバー法に関しても、医療分野は手付かずのまま。厚労省はマイナンバーとは別に医療分野で使える「医療等ID(仮称)」の導入を目指しているが、制度設計は今後の課題とされており、全国規模で電子化が進んでいるイギリスや韓国などと比べれば立ち遅れている。国民会議の報告書は30年の遅れを挽回できる「敗者復活戦」になるのだろうか。


家庭医構想の復活


 もう1つ、30年前に議論されたテーマが復活したのは「総合診療医」だ。総合診療医とは臓器・疾病別に分かれた専門医ではなく、患者の健康問題を全般的に診る医師であり、厚生労働省の検討機関「専門医の在り方に関する検討会」が今年4月に公表した報告書で、17年度から専門教育がスタートする方針を盛り込んだ。その意義について、国民会議報告書は以下のように指摘している。


 高齢化に伴い、特定の臓器や疾患を超えた多様な問題を抱える患者が増加する中、総合的な診療能力を有する医師(総合診療医)による診療の方が適切な場合が多い。これらの医師が幅広い領域の疾病と傷害等について、適切な初期対応と必要に応じた継続医療を提供することで、地域によって異なる医療ニーズに的確に対応できる。さらに、他の領域別専門医や他職種と連携することで、全体として多様な医療サービスを包括的かつ柔軟に提供できる。総合診療医は地域医療の核となり得る存在であり、その専門性を評価する取組を支援するとともに、その養成と国民への周知を図ることが重要である。(国民会議報告書31ページ)


 さらに、明確な言及こそ避けているものの、以下のくだりも総合診療医に期待される分野である。


 フリーアクセスの基本は守りつつ、医療機関間の適切な役割分担を図るため、「緩やかなゲートキーパー機能」の導入は必要となる。大病院の外来は紹介患者を中心とし、一般的な外来受診は「かかりつけ医」に相談することを基本とするシステムの普及、定着は必須であろう。(国民会議報告書39ページ)


 しかし、総合診療医と同様の機能を持った医師の必要性も80年代に議論されており、こちらも言わば「敗者復活戦」である。厚生省は85年、「家庭医に関する懇談会」を設置し、日常の健康管理・相談、一般的な疾病や外傷に対する診断・治療、必要に応じた専門医療機関への紹介を担う存在として、イギリスやオランダなどで一般的なGPに近い医師の制度化を目指した。ここで目指した家庭医は総合診療医に近い存在であり、87年に公表された懇談会報告書を受けて厚生省はモデル事業に着手したが、日本医師会の反対で制度化まで至らなかった。


 日本医師会が反対したのは「国は家庭医導入を突破口にして医療費抑制の手段に使うつもりであり、医療の国家管理をもたらす。開業医を中心とした現行システムの機能が重要」という理由。その代わりに、患者が普段から同じ医師に診てもらう「かかりつけ医」を提唱した。


 本来、総合診療医は患者との対話から診断・治療に結び付ける専門技能を有しているのに対し、かかりつけ医は患者との日常的な関係性に着目した概念であり、求められる能力や機能は異なる。しかし、この時の経緯が一種のトラウマとなり、「家庭医」という言葉が医療政策の中で語られにくい雰囲気となった。国民会議の報告書が「総合診療医」「かかりつけ医」の単語を微妙に使い分けているのも、この時の経緯を踏まえたためであろう。


 いずれも一度は挫折した改革論議。歴史に「もし…」は禁物だが、「30年前に電子カルテと家庭医の導入を進めていれば…」と感じる人は多いだろう。同じ轍を踏まない対応と覚悟が政策立案者だけでなく、利害関係者や国民に求められる。



関連資料
(1)2013年8月6日、社会保障制度改革国民会議報告書
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg/kenko/130731/item1_2.pdf
(2)2013年6月14日、経済財政運営と改革の基本方針について(骨太方針2013)
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/cabinet/2013/2013_basicpolicies.pdf
(3)2013年6月14日、規制改革実施計画
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/publication/130614/item1.pdf
(4)2013年6月14日、日本再興戦略
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/pdf/saikou_jpn.pdf
(5)2014年度予算厚生労働省概算要求資料
http://www.mhlw.go.jp/wp/yosan/yosan/14syokan/dl/01-05.pdf
(6)2013年7月31日規制改革会議第6回健康医療ワーキング資料
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/kaigi/meeting/2013/wg/kenko/130731/item1_2.pdf
(7)2012年9月12日、厚生労働省の検討機関「医療等分野における情報の利活用と保護のための環境整備のあり方に関する報告書」
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000002k0gy-att/2r9852000002k0kz.pdf
(8)2013年4月22日、厚生労働省の検討機関「専門医の在り方に関する検討会報告書」http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r985200000300ju-att/2r985200000300lb.pdf


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丘山 源(おかやま げん)

早稲田大学卒業後、大手メディアで政策プロセスや地方行政の実態を約15年間取材。現在は研究職として、政策立案と制度運用の現場をウオッチしている。