経済学の世界では「情報の非対称性」が不完全市場を作り上げると説明する。情報が不足する中で、消費者は合理的な判断を下せないため、市場が本来持つ機能が働かなくなるというわけだ。



「完全市場」は経済学の教科書にしか存在しない。それでも我々は本や雑誌、インターネット、チラシ、口コミ情報など多くの情報を総合しながら消費行動を取っている。パソコンや車を買うことを考えれば、製品の全機能を理解することは困難でも、メーカーのブランドイメージやパンフレット、店員の説明などを通じて、「金を出しても納得できる」と思って購入している。


 しかし、専門的な知識・技能が求められる医療・介護の世界は非対称の典型であり、その是非を我々は判断しにくい。政府の社会保障制度改革国民会議がまとめた報告書を見ると、患者・利用者が適切に選択できる判断材料を与える観点が見受けられず、採算性だけを重視した患者・利用者の「独占」が進む不安を感じる。


ケアの比較衡量は雑誌のランキング任せ


「常に利用者の尊厳の確保と自立支援を目指し、生活の質の向上を支援します」—。


 模範解答のような理念を掲げる東京都内の特別養護老人ホームで信じられない事件が発覚した。入所者のトイレを介助する際、介護職員が高齢者の様子を撮影するだけでなく、その動画を同僚に見せる虐待事件が起き、地元自治体が今年1月、査察を実施したのだ。


「自己選択」「自立支援」を掲げた介護保険制度が創設されて14年目。法人のホームページで高邁な理想を掲げ、職員育成の過程でも「利用者の尊厳」が強調されているはずだが、この種の虐待事件は後を絶たない。


 虐待までいかなくても、本人の意思をないがしろにした「独占」の事例も耳にする。例えば、介護老人保健施設(リハビリによる在宅復帰を目指す施設)を併設する医療機関では、病床に空きが出ると老健入居者を病院に移し、ベッドが満室になると今度は老健に戻しているという。2011年度に制度化された 「サービス付き高齢者住宅」についても、住宅内に高齢者を多数住ませ、質の低い介護サービスを提供している事業者の噂を耳にする。さらに、最近は診療報酬が在宅分野に重点配分されており、「サービス付き高齢者住宅に住む高齢者に対し、訪問診療を提供するのが最も儲かる」と言われている。いずれも言わば「独占」である。


「経営者や職員のレベルが低い」「質の悪い病院や施設、事業者を選んだのは運が悪い」と言ってしまえば終わりかもしれない。しかし、患者・利用者から見れば、ケアのレベルを比較衡量できる材料がそろっていない中で、適切に判断できない面がある。


 このため、患者・利用者は口コミやケアマネジャー(介護支援専門員)経由の情報に加えて、「住みやすい老人ホーム」「頼れる病院」などと銘打ったランキングを載せた雑誌の情報に頼って病院や施設を選ぶしかない。気軽に相談できる「かかりつけ医」の普及が約20年前から叫ばれているのに、一向に進まない原因はここにある。良い病院や施設に当たるかどうかは運次第なのだ。(次回に続く)  


参考資料
「社会保障制度改革国民会議」報告書


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丘山 源(おかやま げん)

早稲田大学卒業後、大手メディアで政策プロセスや地方行政の実態を約15年間取材。現在は研究職として、政策立案と制度運用の現場をウオッチしている