アルコール依存症治療の真打ち、ついに登場(後編)
断酒をサポートする新薬とは?

そんなアルコールに寛容な社会の下で増え続けるアルコール依存症の患者に対して、現在、どのような治療が行われているのか? これが後編のテーマだ。演者は独立行政法人国立病院機構久里浜医療センター・樋口進院長。演題は『アルコール依存症の治療最前線』
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日本の年間アルコール消費量(15歳以上1人当たりの純アルコール換算消費量)は188カ国中70位です。欧州諸国のほとんどより低いですが、消費量自体はアメリカやカナダとほぼ同等程度です。日本より消費量が少ないのは中国以下のアジア諸国、オセアニア、それと教義で飲酒が忌避されているイスラム諸国などです。飲酒者の割合は男性が83%、女性が61%ですが、若年層では男性が84%、女性が90%と男女比が逆転しています(08年、厚労省調査)。なお、若年層での男女比逆転現象は、先進各国で見られる傾向です。
アルコール依存症患者の増加が社会にどれほどの悪影響を及ぼすのかについては、今成先生の講演の通りです。社会的費用のうち交通関連に焦点を絞ってみると、「飲酒運転の検挙割合の4割がアルコール依存症患者である」ことや「アルコール依存症患者の運転事故再犯率は14%で、依存症ではない人々の3%を大きく上回る」ことが挙げられます。

アルコール依存症とは、すなわち精神疾患です。そのプロセスは図1(上図)にある通りで、ドパミンが過剰に放出されることで、快楽気分が上昇し、精神依存を形成されます。このプロセスは、他の依存性薬物と全く同じものです。常にアルコールを大量に摂取することにより、常に脳内にアルコールがある状態(精神依存形成)になった結果、身体がアルコールがある状態(身体依存形成)に“慣れる”ことで、アルコール依存症になるのです。
このように身体依存(神経順応)が形成されてしまうと、飲酒をやめた時点で離脱症状が起きます。「手がプルプルと震える」「誰かが自分を監視しているように感じる」「幻聴が聞こえ眠れない」etcといった離脱症状はなぜ出てくるのか? 具体的には図2(下図)をご覧ください。

アルコールは抑制性の神経を活性化するのですが、これが恒常的に活性化されると、人の脳は平衡を保つために興奮性神経を活性化させます。こうしてアルコールが常に脳内にある状態に適応してしまうと、いざアルコールが抜けてしまうと興奮性神経が常に活性化することになり、結果、激しい脳内活動により離脱症状が起きるというわけです。
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このようにアルコールの身体依存まで形成される状態は、いわばアルコール依存症の末期に近い状態といっていい。ここまで来ると、身体から常にアルコールが切れないように飲み続けることになる。それこそワンカップの日本酒や4リットル入りの安価な焼酎やウイスキーを、1日中チビチビと飲むような状態だ。これが数日から数カ月続くという。この連続飲酒の状態が続くと、最後には「飲みたくないけど離脱症状が怖くて嫌々飲み続ける」ことになるそうだ。
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アルコール依存症はどのようにして治療するのかといえば、答えは断酒です。しかし、連続飲酒をする患者に対して、単に酒を止めるように説得しても無駄です。説得だけで酒が止められるのであれば、誰もアルコール依存症にはなりません。断酒させ、これを継続させるためには、以下のようなプロセスで治療する必要があります。
①導入期——治療への動機づけを行う
②解毒期——断酒開始。離脱症状及び合併症の治療
③リハビリ前期——心理社会的治療による精神の安定化及び社会生活技能向上
④リハビリ後期——ストレス対処行動の獲得と家族との関係修復
この4段階のうち、リハビリ前期まで入院治療を行います。アルコール依存症の治療にあたっては、こうした心理社会的治療のほかに有効な治療法はありませんでした。治療薬というカテゴリーについていえば、断酒に用いる抗酒薬というものがあります。これは50年前に日本で開発されたものですが、これは飲酒時に強烈な不快感を催す効果を持つ薬であって、飲酒それ自体を止めるものではありません。すなわち、本邦におけるアルコール依存症の治療薬は、この半世紀にわたって全く進歩がなかったということです。
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抗酒薬(アルデヒド脱水素酵素阻害薬)とは、肝臓で2型アルデヒド脱水素酵素(ALDH2)の働きを阻害することにより、その薬効を発揮する。かいつまんで言うなら、肝臓でアルコールが分解されないようする効果を持つ薬である。同剤を服用した後に飲酒すると、高アセトアルデヒド血症による顔面紅潮や動悸などが起き、極めて不快な気分——アルコールを一切受け付けない人が酒を飲んだときと同じような反応、気分——になる。ただし、その効果はあくまでも飲酒後のことであって、薬自体が飲酒を思いとどまらせるわけではないのだ。
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今年承認されたアルコール依存症断酒補助剤『アカンプロサートカルシウム』(商品名:レグテクト錠)は、端的に言うと「脳に作用して飲酒欲求を抑える薬」です。いま一度図2をご覧ください。
改めて説明しますが、習慣的な飲酒により、常にアルコールで抑制系の神経が活性化されていると、人は神経順応により、常に興奮系の神経を活性化させます。結果、アルコールが抜けてしまうと、「アルコールにより抑制系の神経は活性化されず、神経順応により興奮系の神経だけが活性化される」ことになります。興奮系の神経が活性化されることで離脱症状が起き、飲みたくなくても飲むという強烈な飲酒欲求が湧くわけです。
アカンプロサートカルシウムは、この興奮系神経を抑制する効果があるんですね。すなわち断酒をすると神経の均衡が崩れてしまう患者に対して、アルコール抜きでも神経の均衡を保ち、飲酒欲求を抑えるということです。専門的な言葉で言うなら、グルタミン酸作動性神経の過剰亢進を抑制することで、中枢神経の均衡を保ち、断酒維持効果を示す——ということになります。
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1987年にフランスで発売されて以来、26年にしてようやく日本に上陸した『アカンプロサートカルシウム』 現在、世界25カ国で販売されている同剤は、「飲酒後に不快感を催す」ような抗酒薬とは違い、「飲酒欲求を抑制する」効果を持つ画期的な医薬品だ。発売から四半世紀以上経っていることもあって、大規模臨床試験は数多く行われてきており、その効果を証明し続けている。その中で最も有名なドイツでの大規模臨床試験『PRAMA試験』(Sass H et al. Arch Gen Psychiatry. 1996)では、投与48週後で、プラセボ群の13%に対して28%と有意に高い完全断酒率を記録。国内臨床試験でも投与24週後で、プラセボ群の36.0%に対して47.2%という有意に高い完全断酒率を記録している。酒税を上回る社会的損失をもたらすアルコール依存の退治には、これ以上ない“救世主”のように思えるのだが……。
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『アカンプロサートカルシウム』の使用にあたっては、治療を必要とするアルコール依存症患者のみが対象となっています。その投与についても、アルコール依存症治療の導入期、解毒期ではなく、リハビリ前期で心理社会的治療を行う際、補助的に投与することが定められています。言葉を換えれば、多量飲酒者やアルコール依存症予備軍の方には投与できないということです。
なぜこのように投与機会が限られているのかといえば、これは一重に四半世紀以上に渡って蓄積された膨大なエビデンスから導かれた結果であり、効果、安全性など全てを勘案すると、「重度のアルコール依存症」の治療にあたって「心理社会的治療との併用」が最も効果的ということです。
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同剤の作用機序が興奮系神経の抑制にあるのであれば、断酒により興奮系神経が活性化し、強烈な離脱症状を起こす解毒期への投与こそが一番求められるのではないか? という疑問は誰もが抱くものだろう。これにより離脱症状が軽減あるいは消失できるなら、断酒も捗りそうに思える。
この点について樋口院長は、「これまでの治験の結果を見ると、導入期及び解毒期において同剤を投与したケースでは全て失敗しています。これまでのエビデンスからは、『断酒後最低5日以降からの投与』で有効性が確認されています。このことからも同剤の作用機序は単純なものではなく、他にまだ隠れたメカニズムがあるのかも知れません」としている。
また、大量飲酒者やアルコール依存症予備軍への投与についても、「2006年、米国で離脱症状が出るまでに至らないアルコール依存症患者を対象に治験が行われたが(=コンバイン研究)、結論からいえばプラセボ群と比べて有意差を示せなかった」とのこと。
このことから同剤は、大量飲酒者やアルコール依存症予備軍、入院治療まで決心しきれない重度のアルコール依存症患者には投与できず、社会的損失を大胆に軽減するほどの“救世主”とまではいえそうにないようだ。ただし、飲酒欲求それ自体を抑制するという画期的な効能を持ち、その効能が四半世紀に渡って証明され続けてきた医薬品であることは間違いない。
退院後1年以上の断酒率が半分にも満たないとも言われるほど難しい、アルコール依存症の治療。今回、初めて本格的な薬物療法が導入されることで、飛躍的な断酒率改善に繋がるのか否か? その成り行きに注目していく必要がありそうだ。(有)