「混合診療が全面解禁されると、薬事承認を受けなくても自由診療で薬が販売できるようになる。薬価基準に縛られず、高い価格で販売できるので、製薬メーカーには利益をもたらす」


 混合診療を巡っては、これまで何度もこうした言説が繰り返されてきた。だが、果たして混合診療の全面解禁は製薬業界に吉と出るのだろうか。


 日本の医療制度では、保険医療機関が国の承認を受けていない医薬品や医療機器を勝手に使うことを禁止しており、これを破って一連の治療行為の中で自由診療を行うと、保険診療部分も患者の全額自己負担となる。これが、いわゆる「混合診療の禁止」と呼ばれるものだ。


 だが、他に治療法の見つからない患者の中には、健康保険が適用されていなくても新しい治療法や薬を試してみたいという人もいる。そうした患者のニーズに応えて作られたのが保険外併用療養費(先進医療)で、厚生労働大臣が特別に認めた自由診療に関しては、保険診療との併用が特別に認められている。


 先進医療は、健康保険を適用するかどうかを評価している段階の治療という位置づけで、安全性と有効性が確認されて、広く一般に普及できると判断されれば保険収載される。保険外の費用を全額自己負担するのは経過的なもので、保険収載されれば誰でも一部負担金を支払うだけで利用できるようになっていく。


 一方、混合診療が全面解禁されると、「健康保険が効く治療はここまで」と線引きされてしまい、新しい治療法が開発されても保険収載はされなくなる。


 現行の「保険外併用療養費(先進医療)」と「混合診療の全面解禁」の患者負担を次のケースで比較してみよう。70歳未満で一般的な所得(月収53万円未満)の人が、1カ月に保険診療100万円に加えて、保険適用前の抗がん剤Aを1000万円使用したとする。


●保険外併用療養費(先進医療)


 先進医療に認められるまで抗がん剤Aは自由診療なので、当初の患者負担は1100万円。先進医療に認められると、保険診療部分は健康保険の高額療養費が適用されて自己負担は9万円となり、抗がん剤Aと合わせて1009万円の自己負担になる。そして、抗がん剤Aの安全性と有効性が認められて保険収載されれば、すべての治療に健康保険が適用されるので、自己負担額は9万円と大幅に引き下げられる。


●混合診療の全面解禁

 混合診療の場合は、最初から保険診療と自由診療を併用できるので、全額支払うのは抗がん剤Aの1000万円。自己負担の合計は、保険診療部分と合わせて1009万円でよい。だが、今後も抗がん剤Aが保険収載される見込みはないので、患者の自己負担がこれ以上に引き下げられることはない。

 常識的に考えて、ごく一部の富裕層を除いて1000万円を超える医療費を支払うのは難しいはずだ。抗がん剤Aの価格を2000万円、3000万円と引き上げれば、多少の利幅は出るが、反対に利用する人は減っていき、売り上げが飛躍的に伸びることはない。

 だが、保険収載されれば価格の自由決定権はなく、1剤あたりの利幅は少なくなるが、患者の負担は大幅に減る。その結果、多くの患者が利用できるようになり、販売数量は飛躍的に伸びていくだろう。

 保険収載するかどうかの基準は、技術的妥当性(安全性、有効性、技術的成熟度)、社会的妥当性(倫理性、普及性、費用対効果)などが評価されるが、たんに価格が高いという理由で却下されることはない。日本では心臓などの移植手術にも健康保険は適用されている。

 武田薬品工業の長谷川閑史氏も、2010年5月の日本製薬工業協会会長就任時(2011年5月退任)に、混合診療問題について次のような発言をしている。

「混合診療については観点的な議論が先走り、実態が十分に議論されていないと考える。今の医療制度の中ではエビデンスに基づいた治療であれば高額だからといって拒否する理由にはならない。混合診療を認めなければ解決できない問題は何なのか議論し、現行制度で対応できないかを検証する必要がある」(日本製薬協ニューズレター NO.138)

 長谷川元会長は、すでに2010年の段階で混合診療の全面解禁論を否定しているのだ。

 前回の本コラムで、TPPでアメリカが日本の医療分野に要求するものの主軸を、混合診療の全面解禁から新薬創出加算の恒久化と市場拡大再算定ルールの廃止に絞ったことを紹介した。それは、薬価制度を維持して保険適用薬を増やしていったほうが、製薬メーカーの利益が増えるというロジックに気がついたからに他ならない。

 いまだに「混合診療の全面解禁が製薬メーカーの利益につながる」と思い込んでいるなら、天動説から抜け切れずに地動説を唱えたコペルニクスを嘲笑った古代人のようなものだ。混合診療の全面解禁は、患者のためにも、製薬メーカーのためにもいいことはない。規制改革を唱える人々の中には、いまだこの天動説を信じている人も多いが、早く目を覚まして、地球が動いていることに気がついてほしいものだ。


筆者近著

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早川 幸子(はやかわ ゆきこ)

 1968年千葉県生まれ。明治大学文学部卒業。フリーライター。編集プロダクションを経て、99年に独立。これまでに女性週刊誌などに医療や節約の記事を、日本経済新聞に社会保障の記事を寄稿。現在、朝日新聞be土曜版で「お金のミカタ」、ダイヤモンド・オンラインで「知らないと損する!医療費の裏ワザと落とし穴」を連載中。2008年から、ファイナンシャルプランナーの内藤眞弓さんと「日本の医療を守る市民の会」を主宰している。