大衆薬のインターネット販売を認める法案が12月5日、成立した。来年4月以降、ほとんどすべての大衆薬がネット販売される。薬局やドラッグストアで買うことのできる大衆薬は、絶えず規制緩和を求められてきた製品だ。コンビニやスーパーでの販売を可能にしようという動きは90年代から始まり、09年の改正薬事法によって、ある程度規制は緩和された。一方、今年に入ってから注目を集めたインターネット販売議論は、大衆薬に残った最後のテーマ。マスコミが連日、大きく報道した。実は、大衆薬の規制緩和を巡っては、その時々で大物(=ビッグネーム)が議論に関わってきた。03年には小泉純一郎元首相や石原慎太郎前都知事が、規制緩和を論じた。そして、ネット販売でもビッグネームが登場した。ひとりは楽天の三木谷浩史社長であり、もうひとりは安倍晋三首相だった。

そもそもの発端は〝悪法〟カタログ販売

 インターネット販売の問題を解説するには、4年前の議論を振り返えらなければならない。大衆薬(=一般用医薬品)の規制緩和は09年6月に施行された改正薬事法でひとつの区切りがついている。薬剤師に代わる新たな専門家として「登録販売者」を新設し、事実上、大衆薬を販売できる許可要件のハードルを下げた。さらに、副作用発生の危険度から大衆薬を第1類医薬品、第2類医薬品、第3類医薬品の3区分に再編し、登録販売者は大衆薬の9割以上を占める第2類と第3類を扱えることになった。大幅に規制は緩和された訳だ。

 そのなかで、インターネットを含めた「郵便販売」規定に関しては、安全上問題のない第3類に限定し、規制を強化したのだ。

 ここでポイントとなるのは、厚生労働省が郵便販売に対して特別な〝感情〟を持っていたということだ。郵便販売の前身である「カタログ販売」(=消費者がカタログに記載された大衆薬を、郵送などで購入するシステム。販売可能品目は政省令で十数品目に限定)は、薬事法では本来限定できない品目まで政省令で規制していた。いわば〝悪法〟だ。中小薬局を守るため、薬事法では制限できない大衆薬までを80年代から規制していたのだ。ただし、カタログ販売規定が薬事法上の裏付けがなく〝ザル法〟であることは、ネット販売会社には知れ渡っていた事実だ。一部のサイトでは、すでに多くの大衆薬がネットで販売されていたのである。

 つまり、厚労省としては09年の大改正のなかで矛盾を解消し、制度上スッキリさせておきたかった。加えて、当時、ネット販売に関して、代表する団体や組織がなかったことも厚労省の判断を大胆にした。

 ところが、理論的にスッキリさせた郵便販売(=ネット販売)規制強化によって、騒動が巻き起こった。ネット販売業者であるケンコーコムが「第3類以外も売らせろ」と噛み付き、ウェブサイトを運営する楽天の三木谷社長を巻き込んで09年の法施行の直前、厚生労働省の検討会を舞台に大論戦となったのだ。

 プロ野球・東北楽天イーグルスのオーナーで、自家用ジェット飛行機を乗り回し、5000億円ちかい資産を所有する「現代の成功者」三木谷社長が議論に登場したことで、ネット販売は一気に注目を集めることになる。三木谷社長は連日、テレビ、新聞でネット販売規制を糾弾した。

 それでもこの時点では、厚労省が3年間の執行猶予となる「経過措置期間」を設けることで乗り切り、改正法施行に踏み切ったのだ。

 対して、経過措置期間後には窮地に追い込まれるのを見越したケンコーコムは、法廷論争に持ち込んだ。一審の東京地裁は国が勝訴し、二審東京高裁はケンコーコムが勝訴。迎えた今年13年1月、最高裁は厚生労働省の主張を退け、ケンコーコムを勝訴とした。

 裁判の争点は「対面販売」だった。最高裁は、法律にはない対面販売を省令で規定してネット販売を禁じたのは「法律の委任を越えている」と裁定したのである。

 ただ、判決の原因は、厚労省による軽率なミスが影響していた。薬事法に「対面」の文字を盛り込まなかったのだ。最高裁が指摘した「法律の委任を越えている」は、裏を返せば対面販売を法律に明記したうえで、省令へ委任すればまったく問題はなかった。

 法案作成に関わった複数の厚労省官僚は、今になって口を揃える。法律に「書かなくても、なんとかなると甘くみていた」と。官僚には、「対面」などという現場的な文言は「法律上、美しくない」という感覚がある。具体的な表現を法文化すると、後々弾力的な運用ができない場面が出てくるからだ。

 ただし「対面」以外では、第1類医薬品を薬剤師が「書面を用いて、必要な情報を提供」しなければならないとまで薬事法36条に書き込んだ。これは具体的だ。現在のところ、厳しい取り締まりは実施されていないものの「書面」で情報提供しなければ、薬事法違反で責任者は罰せられる。そこまで踏み込んだのである。また、使用者から「相談があった場合には、必要な情報を提供」しなければならないと「相談」を薬事法に明記した。厚労省の、ここまで法文化すれば「対面」を記さなくても問題はないという読みは、あながち「甘い」とは攻められない。

安倍首相の積年の恨み

 最高裁からの「敗訴」を受け13年2月に検討会が設置された。そのかたわら、厚労省としては「対面」を法律に盛り込まなかったのが問題なら、再度法改正し「対面」を明記すれば済むという腹積もりもあったようだ。検討会では、ケンコーコムや楽天代表といったネット販売「推進派」と、薬系小売団体である日本薬剤師会(=日薬)や日本チェーンドラッグストア協会などの「慎重派」が激しくぶつかり合ったが、厚労省は静観するだけだった。検討会としての方向付けを積極的に促そうというネゴシエーションには手を付けなかった。

 結局、2月から5月まで11回もの会合を重ねた「一般用医薬品のインターネット販売等の新たなルールに関する検討会」は結論をまとめられず、両論併記に終わった。

 一方で、この検討会を横目にビッグネームが動いた。安倍晋三首相だ。

 12年12月に内閣総理大臣に再び就いた安倍氏は、大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を惹起する成長戦略を「3本の矢」とした経済対策アベノミクスを掲げ、政権運営を波に乗せた。そして、両論併記に終わった厚労省検討会を無視した形で6月14日、成長戦略「日本再興戦略」を閣議決定し、「一般用医薬品のインターネット販売解禁」を盛り込んだのである。

 安倍首相にちかい楽天・三木谷社長の意向が反映されたのは言うまでもない。三木谷氏は、政府の産業競争力会議の有識者議員に登用されていた。安倍首相サイドが、「ネット販売阻止」で巻き返しを図る日薬などに揺さ振られると、競争力会議の議員辞職をほのめかし、安倍首相の背中を押したのも彼だ。

 三木谷氏からは、インターネット市場を〝絶対的〟なものにしたいという意向が窺える。大衆薬市場は全体でも9000億円程度だ。そのうち、ネットに置き換わるのは200〜300億とされる。決して大きな市場とは呼べないにもかかわらず、大衆薬のネット販売解禁に拘るのは「対面原則の撤廃が狙い」だからだ。現在、対面でなければならない不動産売買や教育、医療などを、何でもネットで可能にしたいという野望がハッキリと見える。特に、今回の大衆薬のすぐ先には、8兆円規模の医療用医薬品市場が存在する。三木谷氏は医療用市場をネットの傘下に置きたい考えを隠さない。

 一方、安倍首相には別の〝思惑〟があった。そもそも、内閣総理大臣が大衆薬のネット販売などという小さな問題に、なぜそこまで拘るのか、関係者は今でも首を捻る。確かに、規制改革の目玉としては、国民から見て「わかりやすい」という面はある。03年に小泉首相が同じ理由から、大衆薬の規制緩和を敢行した例もある。だが、安倍首相はこうした側面に加え、腹の底に〝ある恨み〟を抱えていた。元厚労省幹部が解き明かす。

 話は少し遡るが、06年の第一次安倍内閣当時、大きく立ち塞がっていたひとりに、民主党の長妻昭衆院議員がいた。「ミスター年金」と呼ばれた長妻氏は、国会で度々年金問題を取り上げ、安倍内閣を攻め立てていた。一方、安倍首相は厚労省からのレクチャーによって年金問題を軽く見ていたという。ところが問題は「消えた年金記録」に発展し、世論を敵に回すことになる。安倍内閣は続く07年7月の参院選で大敗。その後、安倍首相は第一線から退いた。

「安倍さんは厚労省に騙されたと今でも思っている。その恨みは消えていない」元厚労省幹部は解説する。「最高裁で違憲判決を受けたにも関わらず『厚労省が何をいうのか』という思いはあるだろう。ネット販売解禁を全力でやるのは、厚労省への復讐だ」。第一次安倍内閣で、首相を身近に見ていた元幹部の推察は的を射ている。

 安倍首相からすれば、自身の内閣が退陣に追い込まれた原因のひとつに厚労省があったと、今も根に持っているのかもしれない。もちろん首相の胸の内はわからない。ただ、厚労省への怨念がネット販売問題につながったと考えれば、今回の流れはすべて説明がつく。三木谷氏は配役のひとりに過ぎず、主役は安倍首相だった。

14年度以降のネット販売の姿

 さて、大衆薬のネット販売は、安倍首相の「全面解禁」という方針を受け、厚労省はさらに2つの検討会を設置し、ルールを作成した。推進派、慎重派がともに譲らなかったネット販売が可能な「範囲」は28品目以外の99.8%の大衆薬となった。規制が残る28品目は「要指導医薬品」と新たに位置付け、医療用医薬品から大衆薬にスイッチされてから「原則3年間」の第1類医薬品23製品と、劇薬指定の5品目が該当した。厚労省は要指導医薬品の販売について、「対面」の文言をしっかり記載した改正薬事法を臨時国会に提出。会期末ギリギリの12月5日、法案は可決した。

 14年度以降、ネット販売はほとんどの大衆薬で解禁される。具体的な販売ルールは、ネットだけの販売を規制する観点から、薬局やドラッグストアの許可をとった店舗が「昼間40時間以上」の開店を条件に、薬剤師などの専門家が常駐することで認められる。サイト内には、店舗写真や許可証、専門家氏名などを表示するだけでなく、対応する薬剤師をリアルタイムで明らかににする。こうした規制を守れているか監視するためのテレビ電話の設置も、義務付けた。

 販売の流れは、購入者が性別・年齢、症状や副作用歴などの個人情報とともにネット上で申し込み、注文を受けた専門家は、用法・用量、服用上の注意事項といった「使用者に応じた個別の情報」をメールで返信する。購入者は、専門家への「再質問」や「相談」がない場合にはその点をもう一度、メールで返信したところで契約は成立し、商品の発送となる。もちろん再質問がある場合には、やり取りを終えたうえで商品発送の手続きに移る。

 この情報のやりとりが、患者→専門家→患者→専門家と最低「一往復半」費やすのがポイントだ。日薬などの慎重派が安全性を強調した結果、決まった規制だ。一見面倒な手続きは、最後まで安全性を楯にネット販売に反対していた日薬の成果とも言える。

 ネット販売議論では、三木谷氏や安倍首相といったビッグネームの陰に隠れていたものの、日薬も一定の存在感を示していた。薬剤師10万人が集まる職能団体である日薬は、圧力団体として名高い日本医師会ほどではないにせよ、調剤医療費の拡大とともに政治力を増してきた。すべては薬剤師の権益を守るための組織だ。しかし、彼らを取り巻く環境は厳しくなっている。

 医師が書いた処方せんを、街の薬局が調剤するシステム「医薬分業」に対するバッシングは激しい。本当に患者のためになっているか、調剤薬局は儲け過ぎではないか、といった世論にさらされている。さらに、ドラッグストアが始めた、調剤への支払いにもポイントを付けるサービスに難癖つけている。

 今回は日薬の〝活躍〟についてあまり触れなかったが、彼らもまたネット販売議論に深く関わったキープレーヤーだった。そして、分業バッシングや調剤ポイントサービスに対しても政治活動を続けている。こうした魑魅魍魎とした舞台裏の話は、また別の機会に。

------------------------------------------------------------


医薬経済社 論説委員
玉田慎二(たまだ しんじ)


 法政大学社会学部を卒業後、医薬品関連の業界紙各社で記事を書き続ける。08年から12年まで、医薬経済社『RISFAX』編集長を務め、現在は論説委員。主な取材テーマは「医薬分業」と「OTC薬」。特に、日本薬剤師会に関しては深く取材してきた。著書に『OTC薬 規制緩和は誰のもの』(医薬経済社刊)がある。興味は「組織」と「個人」の関係。