忌(い)むは忌む 忌まぬは忌まぬ 何事も
   忌むは己の 心なりけり


「忌む」は、広辞苑に「嫌い避ける」「憎む」とある。歌にあるとおり、忌は己の心と書く。そこで歌意を考えると、好きも嫌いも、すべて自分自身の主観から出ていることだ、ということになろうか。


 食べ物の好き嫌い、考え方や立場の相違、趣味の世界等々いろんな面で人それぞれの好悪は表れている。とくに異性であろうと同性であろうと、人間関係において、一段と顕著になる。虫が好く、好かない。ソリが合う、合わない。相性がいい、わるい。こればかりは理屈で割り切れない。算命学、占星術、血液型、干支など、いろんな判断基準がこの世にあるが、100%当てはまるといったわけでもない。生まれ育った環境もあれば、男女の違い、あるいはそれぞれ民族固有の文化、歴史的な発展過程など、背景となる条件は千差万別である。「蓼(たで)食う虫も好きずき」という言葉がある。「蓼」はタデ科の一年草で、葉も茎もとても辛い。そんな蓼を好んで食べる虫もいることから生まれた言葉だが、人間関係の結論もこんなところに落ち着くのであろうか。


 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
   成らぬは人の 為さぬなりけり(上杉鷹山)


 歌の調子は前出の歌とよく似ている。これも人生訓といえよう。その昔


 為せば成る 為さねば成らぬ 何事も
  ナセルはアラブの 大統領

 ともじって詠んで、笑いをとっていた漫才があった。


 江戸時代は266年続いたが、まずは天下泰平の世であった。天変地異によって作物が実らず、飢餓状態が何回か起こったが、戦争による被害を蒙(こうむ)らなかった。人々の関心は、自然と健康の維持に集まった。いわゆる「養生」である。代表的なのが貝原益軒の「養生訓」であろう。和歌の形式で養生法を詠んだ医師もいる。たとえば、寛政年間に将軍家奥医師だった多紀元徳の歌がある。


 養生は その身の程を 知るにあり
   程を過ごすは 皆不養生


 飲食は 我が身やしなう 為なるを
   口のためぞと 思ふはかなさ


 とくに解説しなくても、歌意は自ら通ずるであろう。幕末の文人・八隅景山も養生歌を残している。


 養生は やまひの出でぬ 手当なり
   その用心を まへかたにせよ


 物事に 執着せざる 心こそ
   実にも長寿の 基とならめ


 現代の養生歌を筆者も作ってみた。養生になるのと、不養生極まりないという二首である。これも解説しなくてもよくわかってもらえる歌である。


 よく噛んで 食べ過ぎないで 腹七分
   いつもニコニコ 運動をする


 よく噛まず 食べ過ぎ飲みすぎ 腹一杯
   いつもイライラ 運動しない


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松井 寿一(まつい じゅいち)

 1936年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。医療ジャーナリスト。イナホ代表取締役。薬業時報社(現じほう)の記者として国会、厚生省や製薬企業などを幅広く取材。同社編集局長を経て1988年に退社。翌年、イナホを設立し、フリーの医療ジャーナリストとして取材、講演などを行なうかたわら、TBSラジオ「松チャンの健康歳時記」のパーソナリティを4年間つとめるなど番組にも多数出演。日常生活における笑いの重要性を説いている。著書に「薬の社会誌」(丸善ライブラリー)、「薬の文化誌」(同)などがある