世の中は 夢かうつつか うつつとも
夢とも知らず ありてなければ
「夢か現(うつつ)か幻か」というセリフがある。人間の一生を考えた場合、この三つがないまざっているのではないか。人生には常に喜怒哀楽がつきまとっている。運、不運、幸、不幸。生老病死の四苦。この場合の「苦」は苦痛、苦しみという意味ではない。インドのサンスクリットの意味は「思うようにならない」である。生まれてくるのも、病気に罹(かか)るのも、老いさらばえていくのも、そして死に至るのもすべて、自分の思うようにはならないものである。この世とはいったいなんなのか。わかったようでわからず、わからないようでわかった気がする妙な世界である。世の中で始まる歌は万葉の昔から数多く詠まれてきている。
世の中を 憂しとやさしと 思えども
飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
世の中を 何に譬(たと)えん 朝びらき
こぎ去(い)にし船の 跡なきがごとし
世の中を 何に譬えん 茜さす
朝日待つ間の 萩野の上の露
世の中を 何に譬えん 夕露も
待たで消えぬる 朝顔の花
いずれも儚(はかな)さを表わしている。それがわかったとしても逃れることができない。鳥ではないのでと嘆(たん)じてもいる。
「人の一生は重荷を負うて遠く道を行くのが如し」とは徳川家康の言葉である。幕末の志士・吉田松陰の死生観は。次のようである。
人の寿命には定めがない。
必ず人それぞれに死期がある。
十歳にして死ぬ者は十歳の中に自ら春夏秋冬の四時がある
二十には二十の、三十には三十の季節のめぐりがある。
十七、八の死が惜しければ、三十の死も惜しし、八十、九十になりても、これで足りたということなし。
淀川キリスト病院の医師・柏木哲夫先生はホスピスの担当医として大勢の人を見送っている。その哀しみ癒す手だてとして川柳を詠むことにした。
食卓で 愚痴を聞いてる パンの耳
よく眠り スッキリめざめた 講演会
患者さんにも川柳を作ることをすすめて歩いた。ある日すすめてから、ハッと思い起こしたのは、相手が有名な女流俳人であったことである。謝って引き下がってきた。2〜3日後、その女流俳人が柏木先生を訪ねてきて、川柳を詠みますという。俳句には季語(春夏秋冬)が必要だが、川柳にはいらないからという理由。つまり四季(死期)がないから。
岩もあり 木の根もあれど さらさらと
たださらさらと 水の流るる
京都女子大学の前身・顕道女学院の創設者である甲斐和理子女史の歌である。横山大観の絵「生々流転」は有名である。「水は方円にしたがい、人は善悪の友による」という言葉もある。
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松井 寿一(まつい じゅいち)
1936年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。医療ジャーナリスト。イナホ代表取締役。薬業時報社(現じほう)の記者として国会、厚生省や製薬企業などを幅広く取材。同社編集局長を経て1988年に退社。翌年、イナホを設立し、フリーの医療ジャーナリストとして取材、講演などを行なうかたわら、TBSラジオ「松チャンの健康歳時記」のパーソナリティを4年間つとめるなど番組にも多数出演。日常生活における笑いの重要性を説いている。著書に「薬の社会誌」(丸善ライブラリー)、「薬の文化誌」(同)などがある