10月の消費税引き上げは、さらなる延期論が強くなると同時に、新たに浮上した7月の衆参同時選挙話が絡んで、実施するのかどうか微妙になっている。その一方で、増税による消費の冷え込み緩和策としてポイントを付与するカード払い、いわゆる「キャッシュレス化」を囃す話が相変わらず盛んだ。クレジット会社は言うに及ばず、楽天やヤフー、リクルート、LINE等々が、カード事業に進出し、宣伝に余念がない。新聞、テレビは「韓国が最もキャッシュレス化が進んでいる。ヨーロッパ、アジア、アフリカ各国でもキャッシュレスだ。日本は世界で最も遅れている」とカード払いの普及に一役買っている始末だ。


 だが、キャッシュレス化がそんなに素晴らしいことなのだろうか。社会が安全で、通貨に信用がある国は現金の社会である。実は、アメリカもキャッシュの国に数えられている。中産階級や低所得層は物騒な社会だからクレジットカードを使うが、トランプ大統領のようなカネ持ちは通常、小切手で支払う。小切手は現金と同じだから米国は現金社会とされている。


 小切手払いといえば、アーサー・ヘイリーの名作『ホテル』を思い出す。配管剥き出しの粗末な部屋に押し込められた体調をこわしていた宿泊客は、実は大金持ちで、後に舞台のインディペンデント(チェーンではない独立系)ホテルを救済のため買収する人物なのだが、彼が宿泊代を小切手で支払うと、受け取った経理マンが即座に銀行に問い合わせる。すると、バンカーは「大丈夫です。たとえ、バナナの皮であっても、彼のサインがあれば支払いますよ」と答える。後に経理マン氏は「やるべきことを実行した」と評価される、という話が出てくる。うろ覚えで恐縮だが、読む者の心を打つ場面だ。しかし、カード払いではこうはいきそうもない。


 もう半世紀以上前だが、クレジットカードが普及し始めたころ、カード会社が猛アタックしたのがホテルである。というのも、当時、ホテルのフロントでは宿泊客が到着し、名簿にサインしたとき、必ず「お支払いは現金にしますか。それともカードにしますか」と尋ねていた。ホテル側はカード払いの場合、カードをコピーし、支払いが大丈夫か前もって確認するだけに過ぎないのだが、カード会社はこの問い合わせの言葉を嫌った。「お支払いはカードにしますか、それとも現金ですか」と逆にしてくれと執拗に頼んだのだ。フロントから「現金ですか、カードですか」と、先に現金という言葉が出てくると、客はカードは低く見られ、敬遠されていると感じ、つい「現金で」と答えるというのだ。カード会社はカードの信用はホテルからというわけで、嫌がるホテルを口説き落とした。


 今回のポイント付与のカード払いにハッキリと「拒否」しているのは東京・上野のアメ横くらいだ。アメ横の商店は相変わらず、売上代金や釣り銭をカゴや引き出し、あるいは、昔ながらのレジスターに入れている。カード払いを拒否するのは、導入費用がかかるということにあるようだ。


 個人商店主は誰でも知っているが、買い物代金の精算は昔の魚屋、八百屋が行っていたようにゴム紐で吊るしたカゴを利用するのが最も早い。欧米人は足し算で計算するが、日本人は引き算で計算するし、暗算が得意でもあるし、受け取ったおカネをレジまで持っていく時間も省けるからだ。


 余談だが、昭和30年代から40年代にレジスターが日本中の商店に売り込まれた。このとき、セールスの最前線ではセールスマンが商店の親父さんに「計算が速いし、正確だ」と口説いてレジスターを勝手に設置、反対するおかみさんを尻目に代金をかっさらうように手にして立ち去ったものだ。後で商店では夫婦喧嘩が起こっただろうが、そんなことは構わない。売ってしまえばよい、というセールスが罷り通った。それにもかかわらず、レジスターが定着したのは、おかみさんが閉店後に行っている売上げ計算に役立ったからだろう。しかし、実際にはカゴを使うより計算は遅い。スーパーのレジに行列ができてしまうのは、人間より計算が遅いということにある。それでもレジスター、さらにPOSシステムが普及したのは売上げなどのデータを把握できるからだ。だが、今までデータを持つのはあくまでもチェーンの本社であり、フランチャイザーである。個人商店主である。今、ポイントがつくカード払いだ、キャッシュレスだということで、カードで買い物ということになると、個人商店のデータをカード会社が持つことができる。


 もっといえば、個人商店であろうが、チェーン店であろうが、小売店の売上げデータを持つのはカード会社、クレジット会社だけではない。付与されるポイントは政府が支出するのだ。当然、カード会社、クレジット会社を監督する金融庁や国税庁、税務署も各カード会社のデータを集めることができるだろう。そして、どこの個人商店の売上げがいくらあるかを把握できる。


 現在、日本では消費税の名称だが、かつて“売上税”の名前で実施を試みた。売上税はヨーロッパ諸国と同様にいくら税金を支払ったかを明記したインボイス方式だったが、売上税は小売店から「売上げがすべてわかってしまう」と猛反発を受けて廃案。代わって現在の消費税になったという経緯がある。今回、消費税引き上げの影響緩和策としてのポイント付与で、税務署が実行するかどうかはともかく、小売店の売上げをほぼ正確に掴むことも可能になり、脱税を摘発できるだろう。キャッシュレス化だと浮かれているが、昔からいい話には裏がある。アメ横の商店がカード払いに反対なのも頷ける。(常)