ついつい知ったかぶりをしてしまう人がいる。これはある女性の話。展覧会へ行って、絵を見て「これはルノアールよね」といったら、係の人が「モネです」。「これこそルノアールよね」といったら、「セザンヌ」ですといわれてしまった。三度目は絶対はずせないと思い「これは誰が見てもピカソよね」といったら、係の人が「鏡です」。


 絵を褒めるのは難しい。褒めたつもりが否定語になってしまう。「いいえ」。


 女性のヌードはキメ細かく丹念に描かれている。でも「ラフ(裸婦)」という。


 名画を観て詠まれた歌がたくさんある。観賞する人はそれぞれに、いろんな感慨を持って絵と対峙するが、歌人は果たしてどのような感慨を持ったのであろうか。解説は不要であろう。読者諸賢が一首ずつ吟味してほしい。名画も自ずから思い浮かぶことであろう。


 ゴオガンの 自画像みれば みちのくに
   山蚕(やまこ)殺しし その日おもほゆし(斎藤茂吉)


 糸杉が めらめらと宙に 攀(よ)づる絵を
    さびしくこころ あへぐ日に見き(葛原妙子)


 北斎は 左利きなり 雨雲の
   上から富士を 書きおこしたり(山崎方代)


 ムンクいま 森をぬけ出て 橋わたる
   耳なりじーんと いびつな月下(加藤克己)


 モネの睡蓮 咲く古風な 昼下がり
   ピアノ、ピアニッシモ にて弾けり(斎藤史)


 秋の野の まぶしき時は ルノアールの
   「少女」の金髪の 流れを思う(佐藤通雅)


 モジリアニの 絵の中の 女が語りかく
   秋について 愛について アンニュイについて(築地正子)


 ゲルニカの 牛昏き目を みひらけり
   デモ隊街にもつ 勝利の錯誤(馬場あき子)


 うつくしき 絵巻のなかの 片隅に
   あればあはれや 下司の赤鼻し(吉井勇)


 口ゆがむ までににがき 愛みごもりし
   モナ・リザ、釵の ごとき手組める(塚本邦雄)


 モナ・リザの ゑまひの彼方 わかものの
   貌顯(かおた)つ葉月 こそ夏の燠(おき)(塚本邦雄)


 絵画は、小さな額縁におさめられているものもあれば、壁面いっぱいに描かれている大壁画もある。その大小にかかわらず、絵から受ける印象はさまざまであり、無限である。絵に対峙した歌人が詠んだ歌もまた興趣あふれるものがある。「一粒で二度おいしい」というお菓子のキャッチフレーズがあった。本欄はそれ以上であろう。

------------------------------------------------------------
松井 寿一(まつい じゅいち)

 1936年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。医療ジャーナリスト。イナホ代表取締役。薬業時報社(現じほう)の記者として国会、厚生省や製薬企業などを幅広く取材。同社編集局長を経て1988年に退社。翌年、イナホを設立し、フリーの医療ジャーナリストとして取材、講演などを行なうかたわら、TBSラジオ「松チャンの健康歳時記」のパーソナリティを4年間つとめるなど番組にも多数出演。日常生活における笑いの重要性を説いている。著書に「薬の社会誌」(丸善ライブラリー)、「薬の文化誌」(同)などがある。