親思う 心に勝る 親心
   今日の訪れ なんと聞くらん(吉田松陰)


 安政の大獄で刑死した。享年30。子が親を思う心以上に子のことを思うのが親心である。親に先立つ自分のことを一体どのように思うであろうか。親不孝を詫びる一首である。


 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
   留め置かまし 大和魂(吉田松陰)


 辞世の歌としては、こちらのほうがよく知れられている。志半ばで、武蔵の地に朽ち果てても、培ってきた大和魂は不滅である、という意である。数多い優秀な門下生たちへのメッセージであろう。


 ついに行く 道とはかねて 知りしかど
   昨日きょうとは 思わざりしを(在原業平)


 かねて覚悟はしていたけれど、と、やはり現実の死に直面するとこのような心境になるのであろう。


 願わくば 花のもとに 春死なむ
   その如月の望月のころ(西行法師)


 望んでいたとおり、桜の咲く季節にあの世へと旅立った。


 露と落ち 露と消えにし わが身かな
   浪速のことも 夢のまた夢(豊臣秀吉)


 一介の水呑み百姓のせがれから、天下の覇者へ上り詰めた。晩年は天下人の驕りから暴君となった。位人臣(くらいじんしん)を極め、これ以上の栄達はない身とはなったが、一期を迎えてみれば「夢のまた夢」という無常を感じた
のであろう。


 風さそう 花よりもなお 我はまた
   春の名残を いかにとやせん(浅野内匠頭)


 江戸城中・松の廊下で吉良上野介に斬りかかり、取り押さえられて即日切腹となった。原因、理由は定かでない。無念の胸中が伝わってくる。赤穂藩はお取り潰しとなり、藩士47人が吉良邸へ討ち入り、上野介の首級を討ち取った。大石内蔵助はじめ全員が切腹させられた。


 あらたのし 思いは晴るる 身は棄つる
   浮世の月に かかる雲なし(大石内蔵助)


 赤穂浪士は全員入れ歯だったという。「義士(歯)銘々伝」。赤穂浪士の墓は、泉岳寺をはじめ、それぞれゆかりの地で大事にされていたが、吉良上野介の墓は蹴飛ばされたり、かかれたりして傷んでしまった。和尚さんが檀家の人とはかって、大きくて頑丈な石で造り替えることにした。すると吉良の殿様が夢に出てきて、新しくしてくれるなという。どうしてかと聞いたら、「大きな石はもうこりごりだ」。


 これまでは 他人(ひと)の事だと思うたに
  今度は俺か これはめいわく(蜀山人)

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松井 寿一(まつい じゅいち)
 

 1936年東京都生まれ。早稲田大学文学部卒業。医療ジャーナリスト。イナホ代表取締役。薬業時報社(現じほう)の記者として国会、厚生省や製薬企業などを幅広く取材。同社編集局長を経て1988年に退社。翌年、イナホを設立し、フリーの医療ジャーナリストとして取材、講演などを行なうかたわら、TBSラジオ「松チャンの健康歳時記」のパーソナリティを4年間つとめるなど番組にも多数出演。日常生活における笑いの重要性を説いている。著書に「薬の社会誌」(丸善ライブラリー)、「薬の文化誌」(同)などがある。