新潮が、持ち前の性根の悪さを見せている。


『追悼「高倉健」』


 ごく普通のそんな特集で、サブタイトルに『実に器用なエピソード集』とうたっている。この名優を体現するキャッチフレーズ「不器用」をひねった皮肉である。 


 内容は、他誌と大差ない。共演者やスタッフ、あるいはロケ先で触れ合った人々に、気配りの行き届いた贈り物や手紙でサプライズを演出し、誰もが皆“健さんファン”になる──。テレビの追悼番組でも再三、取り上げられた話だが、要はそんな一面をもって「決して不器用な男ではなかった」と言っているに過ぎない。 


 親しかった写真家に「客観的に見れば、処世術に長けた人だった」と言わせている以外は、世田谷区の豪邸が6億5000万円の価値があると見込まれること、青年時代や離婚後に何人かの女優との“浮いた話”があったこと、その中の1人に石野真子がいたこと、そんな程度の話であり、イメージを大きく傷つける醜聞は見当たらない。 


 グラビア15ページ、本文28ページの大特集を組んだ文春と比べても、5ページだけの新潮の特集はエピソードに乏しい。 


 文春には、山口組3代目・田岡一雄を父に持つエッセイスト・田岡由伎による父娘と高倉との交流を明かした一文まである。取り上げようによっては、新潮の記事にこそ相応しい話だが、他の縁者の回顧と同列に淡々と収められている。 


 要は、新潮記事のほうは相当に「羊頭狗肉」であり、醜悪な高倉健像を期待して読むと、とんだ肩透かしを食らう。 


 それにしても今回、高倉健の粗探しを求める“需要”など、本当に存在しているのか。そんな素朴な疑問が湧く。「売らんかな」の強烈な見出しは、週刊誌の常套手段だが、今回のこの見出しが果たして売り上げにつながるのか、首を傾げてしまうのである。 


 実際、高倉健のイメージは実像以上に神格化されているだろう。しかし、昭和のヒーローに偶像化は付き物であり、庶民はそのことを承知したうえでファンであり続けたのである。長嶋茂雄しかり、吉永小百合しかり。仮にこうした人々の実像が、多少薄汚れていたとしても、別にそれを知りたいとは思わない。 


 悪口を書くのもいいだろう。だがそれは、商売として本当に成り立つのか? そのことがとても気になった。 


「不器用」と言えば、文春にこんな別記事があったのがおかしい。


『西島秀俊は不器用じゃない! 16歳下結婚相手は元“地下アイドル”』 


 今をときめく人気俳優とはいえ、高倉健からはかなり格落ちする西島のゴシップに、感情はとくに湧かない。熱烈な女性ファンには、結婚そのものが大ショックだったのであろうから、その相手のネガティブな情報はむしろ歓迎されるのか? この記事では同時に、西島の“女好き”な側面も強調されているのだが……。 


 どの有名人をどう取り上げるか、というつながりでいえば、前回、少し触れた人気作家・百田尚樹の作品『殉愛』をめぐる大炎上騒動は、結局、大手4誌ではタブーとしてスルーされるらしい。 


 自社で人気小説を出している現代や新潮に続いて、文春でも連載が予定されているという。そんな売れっ子作家とは、ポストもケンカはしたくないようだ。 


 週刊誌はすべて商売上の判断、「売れるか売れないか」だけ。それはそれで「あっぱれな商魂」とも思うが、ならばもっとはっきりとそう言って、むやみに“正義”や“良識”を振りかざしてほしくない。 


 深刻な出版不況だからこそ、売れっ子にすがりたくなる気持ちもわかるが、週刊誌タブーの存在を白日のもとにさらけ出してしまった今回の判断は、果たして商売上、正しかったのか。裏目に出てしまう可能性はないのか。ネット上の炎上ぶりが桁外れなだけに、正直、微妙な話のような気がする。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』(東海教育研究所刊)など。