医学が発展する過程で、かつて行われていた治療法に疑義が生じることがある。


 わかりやすいところで言えば、アルツハイマー病治療薬の「アリセプト」が登場した後、それ以前の治療薬が軒並み消えたことだろう(そのアリセプトもフランスで保険適用外とされてしまったが……)。遺伝子治療や再生医療の発展で、近い将来、現在行われている医療が「何でそんなことやってたの?」となる可能性もある。


 より治療の効果が高い方法や副作用の少ない治療法が見つかったのであれば、過去の医療は「過渡的なものだった」で済むが、なかにはまったく効果がない治療や、むしろ逆効果だったと思われる施術が行われていたこともある。


 過去に存在した“トンデモ医療”を1冊にまとめたのが、『世にも危険な医療の世界史』だ。


 著者は内科医で小説家としての顔を持つリディア・ケイン氏とジャーナリストで図書館司書、歴史家のネイト・ビーダーセン氏。それぞれ独自の専門分野を持つが、プロの書き手だけに、専門知識がなくとも一気に読み通すことができる完成度の高さがある。


 水素、ヒ素、アヘン、コカイン、食人、動物磁気――本書にはこれでもかと、トンデモ医療が紹介されている。背景のひとつとして考えられるのが、長い間、医療の世界を支配していた「四体液説」の存在だろう。


〈四体液説とは、体内の血液、黒胆汁、黄胆汁、粘液のバランスが悪いと病気になるという考え方だ。そして病気を治すためには、嘔吐、下痢、発汗、唾液の過剰な分泌などによって、四体液のバランスを整える必要があると考えられていた〉という。


 水銀は下剤、唾液の分泌〈水銀中毒の一症状〉、アンチモンと呼ばれる有害金属は嘔吐を促進する薬だ。瀉血やヒルは人体から流れが悪くなった血を取り除くものである。


■床屋カラーは瀉血サービスの象徴


 今では医療として否定されていることが広く知られているが、その詳細を初めて知ったのが、瀉血とロボトミーである。


 メスで切開した患者の腕から血を抜く〈瀉血は二〇〇〇年以上に亘って医師たちに愛されてきた〉という。〈理髪店に飾ってあった赤と青と白の段だら塗りされた棒は(赤と白だけの棒もある)、かつての理髪外科医の名残り〉だとか。床屋のシンボルとして、赤、青、白のサインポールがくるくる回っていることがあるが、もともとは〈瀉血サービスを行うとアピールした〉ものなのだ。


 病人から大量の血を抜くなど、今の常識では考えられないが、1週間で2リットルの血を抜かれて亡くなったモーツアルト、出産の直後に瀉血されて失神したマリー・アントワネット、合計2.5~4リットルの血を抜かれて亡くなったジョージ・ワシントンなど、被害者になった著名人も多い。医療にお金が払えたからこそ瀉血を受けられたのだろうが、それがアダとなった。


 脳の前頭葉白質を切除するロボトミーは、〈多くは自発的に行動しなくなり、幻覚症状が治らない〉といった後遺症が出て問題視されたが、成立の過程や恐怖の術式、被害者となったローズマリー・ケネディ(ジョン・F・ケネディの妹)のエピソードなど、読み応え十分だ。近代の医療であるため、写真も多く掲載されている。


 トンデモ医療の普及の過程では、金儲けをしようと考えた詐欺師的な人だけでなく、医師や企業の宣伝も関与している。20世紀の前半には、米国でタバコの宣伝に医師が一役買った。〈バイエル社は、ヘロインはモルヒネ依存症の治療薬として大々的に売り出した〉のは、よく知られたところだ。


 本書の冒頭で〈一九〇六年に純正食品薬事法が施行されたのを機に、アメリカ当局は誤解を招きかねない偽装表示や、食品に含まれる危険な成分、粗悪な医薬品や食品を厳重に取り締まるようになった〉とあるが、逆にそれまでは「ナンデモあり」に近い世界が広がっていたのだろう。


 昨今、医療や医薬品の広報や広告の規制が非常に厳しくなってきており、各社のマーケティング部門からは怨嗟の声も聞こえてくるが、過去を顧みれば「やむなし」との気持ちも湧いてくる。


 最後に、本書から得られた大きな教訓は「“権威”には気をつけろ」である。


 本書では〈定期的な嘔吐を勧めていた〉〈痛い痔核に焼きごてをあてて焼き潰そうとした〉〈女性は結婚して性生活をエンジョイすれば健康維持できると主張した〉「医学の父」ヒポクラテスをはじめ、時代の権威の“トンデモ言動”も随所に紹介されている。


 当時の医学のレベルを考えれば、それまでだが、これから先も十分起こり得る話である。メディアの取材対象者には各界・分野の権威が多数含まれる。記事を書くにあたっては、「鵜呑みは危険だ」と改めて思った次第である。(鎌)


<書籍データ>

世にも危険な医療の世界史

リディア・ケイン、ネイト・ピーダーセン著(文藝春秋2200円+税)