メジャーな雑誌はほとんどが、都市圏の読者を想定して作られている。とてつもなく重大な事件・事故が起きたりしなければ、地方に生きる人々の心のひだに分け入るような企画には、なかなかお目にかかれない。各誌ともじり貧の経営状態から、コストのかかる遠距離の取材を忌避する傾向もある。


 もう10年近く前の話だが、私自身、農村の過疎や高齢化の企画を提案して、「地方の話はいりません」と言下に却下された体験がある。もちろん残念ではあったのだが、編集部の事情もわかるだけに、しつこく食い下がる真似はせず、あっさりと断念した。


「田舎暮らし」などのテーマを例外として、都市住民はやはり、地方には関心が薄いのである。ノンフィクションの世界でも、震災にまつわる本はとっくに売れなくなっている。原発事故があった福島の本もそうだ。一時期高まったかに見えた関心は、実のところ被災地そのものより、自らの家族に波及しかねない放射線被害、健康問題にもっぱら向けられたものだった。


 振り返れば、高度成長期のころまでは、ふるさとに親兄弟を残し、都会に出てきている人々には、「地方出身者」としての自覚が広く共有されていた。だがそれも「今は昔」。時間的にも移動コストでも、実家との往来は飛躍的に利便化して、それに伴って、「遠きにありて思う」しみじみとした郷愁は薄らいでいった。


 このところ沖縄関連の取材を続けている私だが、本土暮らしの中、沖縄への郷愁や都会での疎外感に苦しむ沖縄出身者の感覚は、「安室奈美恵世代」以後、目に見えて薄らいでいるという。


 そんな中、今週の週刊文春に載った『秋田県、学力の奇跡』という特集(前編)は珍しく、地方に根を下ろした人々の情念を感じさせてくれる記事だった。30年近く前、若手新聞記者として秋田に勤務した経験のある私は、昭和の終わりごろ、この雪国の地にあった空気感を久しぶりに記事の行間に味わった。


 記事そのものは、取り立ててセンチメンタルな内容ではない。全国学力テストで毎年のように福井県とトップを争っている秋田の教育システムを探るという企画で、06年まで県教育長を務めた小野寺清という教育者の功績を取り上げている。


 民間の福武書店(現ベネッセ)の協力を得て、教員の試験作成能力を高めるなど、記事は小野寺氏の大胆なチャレンジを紹介しているが、それ自体はいわば「プロジェクトX」的な話であり、さほど珍しくもないサクセスストーリーである。


 だが、この記事の一部に、還暦を迎えた小野寺氏が中学時代の同窓会に出るシーンが登場する。ともに貧しい農村で育ち、“金の卵”として上京して苦労した幼なじみらは、教育長に就任したばかりの小野寺氏を激励した。この場面に私はホロリとしてしまった。


≪彼らは涙を流しながら話した。


「清、おらたちは馬鹿じゃねーよな。おらたちだって、勉強すればサカシク(賢く)なれたんだ」


 彼らにとって一番の屈辱は、貧しかったことではない。都会に出て、「馬鹿で何も知らない山猿」扱いされ、何も言い返せないことだった。自分たちのように、秋田の子供たちが馬鹿だと差別を受けないようにしてくれ、と彼らは、小野寺に懇願した≫


 グローバル化だのITだの、ふわふわした外来語が横行するこの時代に、土地に根を張った人々の、切れば血の噴き出るような言葉をもっともっと活字媒体で読んでみたい。ほんの4段落ほどのごく短い描写に、私は久しぶりにそんな感覚を味わったのだった。


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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」(ともに東海教育研究所刊)など。