新聞記者時代の職場環境がそうだったせいか、自宅では無意識の習慣でテレビを点けっぱなしにしている。音量は小さいので、仕事で机に向かっていて、うるさいと感じたり、気が散ったりすることはない。そんなわけで、まともな視聴者ではないのだが、現在のNHK朝ドラが、幕末・明治を扱った物語であることは、ぼんやりと知っていた。


 その朝ドラ「あさが来た」が、週間平均視聴率で22.8%と自己最高を記録したという。文春とポスト、現代が特集を組んでいる。炭鉱経営で成功した実業家・広岡浅子という実在の女傑をモデルとした物語だ。女優の波瑠が奔放で前向きな主人公「白岡あさ」を演じ、一見遊び人でダメ男風の夫「新次郎」(玉木宏)を支えつつ、一家を切り盛りして時代の荒波に立ち向かってゆく。


 それにしても、このドラマがそこまでの人気とは、迂闊にも知らずにいた。人々に受ける物語のポイントとは、いったい何なのか。モノを書く職業の人間として、そんな秘訣があるのなら、ぜひ知りたいものだが、こればかりは本当にわからない。文春によれば、NHK内部には、幕末物は外れる、というジンクスがあり、今回も不安視する声が強かったそうなのだが、ふたを開けてみれば、杞憂に過ぎなかったわけだ。


 あの「あまちゃん」を唯一の例外として、個人的に朝ドラにはまったことはない。今回もまともには見ていないが、薄らと流れだけはわかっている。今週は、子宝に恵まれぬ「あさ」が夫に妾を持つよう勧めておきながら、悶々と思い悩み、そんなあまりにも“天然”な純粋無垢ぶりに「こんな女性がいるわけがない」とツッコミを入れていた。何のことはない、気がつけば結構ストーリーに引き込まれている。


 物語は、より身近な設定であればあるほどに受け入れられやすい。そんな思い込みが“作り手”の側にはあるのだが、かつてあの「おしん」が世界的に大ヒットしたように、まるで別世界のストーリーであっても、心をさらわれてしまうケースは少なくない。こればかりは、本当に答えは見出せない。


 現代は民放で好調な池井戸潤原作「下町ロケット」の特集もしている。あの「半沢直樹」で大当たりしたTBSが、同じ池井戸作品でまたしても「働く男の物語」をドラマ化した。今度は元ロケットエンジンの開発者で家業の中小企業を継いだ男が主人公。経営難を技術力で乗り越えてゆく男たちの美学が描かれている。


「倍返しだ」の流行語とともに「半沢直樹」が大ヒットした時には、正直、意地の悪い感想も浮かんだ。自己保身の塊のような理不尽な上司たちに、徒手空拳立ち向かう反骨の銀行員・半沢直樹。だが、考えてみれば、この人気は不思議だ。日本人がもし、本当にそんな正義漢が好きならば、こんな世の中にはなっていないはずだ。我が身可愛さで責任逃れをし、長い物には巻かれろ、とばかりに、口をつぐみ、見て見ぬふりをする。ドラマで半沢を潰そうとするそんな悪役キャラのほうが、現実には間違いなく多数派なのである。


 にもかかわらず、テレビの前では誰もが半沢に肩入れし、応援する。現実の生活と人気番組のあまりにかけ離れた落差。そんな屈折した茶の間の光景そのものが、平成の病んだサラリーマン精神を映し出す現象のように思われてならない。


 ポストは『あぁフジテレビ「給料が下がるぅ」』と題して、業績不振にあえぐフジテレビの苦境を紹介し、現代は『「クローズアップ現代」3月で打ち切り決定!』というスクープで、NHK籾井勝人会長の横暴ぶりを批判している。


 全般的な営業成績においても、政治からの圧力の問題でも、テレビは今、さまざまな苦境に直面している。過去十数年、新聞や出版業界を覆い尽くすようになったメディア不況の荒波は、ついにメディアの雄・テレビ業界をも飲み込もうとしている。

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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」(ともに東海教育研究所刊)など。