スキャンダリズムは、週刊誌(とくに出版社系週刊誌)の“命”と言ってもいいほどに、媒体の根幹をなす基本精神である。


 自分自身、“お堅い新聞社”を辞めフリー記者となった初期、最も戸惑いを感じたのがこの部分だった。実際には、40歳前の遅いフリーデビューだったため、その手の仕事を割り振られた経験はないのだが、芸能人の不倫や離婚に象徴される“週刊誌・ワイドショーネタ”に関しては、ある意味“おぞましさ”を感じるほど、嫌っていた。


 自分自身はやりたくない。その思いは今も同じだが、それでも、当時のような全否定の感覚はなくなった。ベテランの雑誌編集者が発した何気ないひと言で、私の考え方は相当に変わった。


 芸能人の醜聞を追い回し、罵倒されてへこんだりはしないのか?


 素朴な質問に、相手はこう答えた。


「仕方ないですね。こっちは罵倒されるだけのことをしてますから」


 まさに目から鱗の返答であった。いわゆる硬派のジャーナリズムでは、取材者は“自らの正義”を信じて他者を批判する。ところが週刊誌のスキャンダリズムでは、往々にして取材者自らが“要らぬ詮索”だと承知したうえで、それをやっている。そして、そのことを卑下するわけでもなく、淡々と「自分の仕事だ」と認めている。


 感覚には個人差もあろう。だが、意外なほどあっけないこの潔さに、私は感服した。考えてみれば“硬派の記者”にしたところで、時には独善的な追及をすることはあるのだが、どうしても自らの“正しさ”にしがみつこうとする。いくら取り繕ってみたところで、記者という職業には、他人の不幸で飯を食う仕事、という側面が付きまとうのだが、それでもそうなのだ。その点、このスキャンダル記者のセリフに、自らの仕事を正当化しようとする“卑しさ”はこれっぽっちもなかった。


 さて、つい最近、ネットのニュースサイト「リテラ」が、週刊文春の編集長に科せられた3ヵ月休職というペナルティーに異を唱えていた。


 この処分騒動、内実はよくわからない。一応、伝えられているのは卑猥な春画を掲載したことで、社の上層部の逆鱗に触れた、という話だ。ヌードも載せない方針でやって来たのに、いったいこれは何だ、というお咎めだった、ということだが、本当にそれだけのことなのか。春画の掲載はそれほどの大罪なのだろうか。誰もが首を傾げたくなる処分ではあったが、ともあれひと月余り前、文春の社内でそんな騒動があった。


 で、リテラは現編集長を外してから、文春の誌面はつまらなくなった、と今回の記事でけなしている。謹慎中の編集長はまさに、イケイケドンドンのタイプ。下世話なスキャンダルが持ち味の人である。編集部員だった時代には、山崎拓・元自民党副総裁の変態不倫スキャンダルを延々何十回も追及し、追い詰めた逸話で有名だ。


 思想的には相当に右寄りで、最近の誌面には「安倍政権ベッタリ」という色合いが目立っていた。


 実はこのリテラというサイトは、今は亡き名物月刊誌「噂の真相」の関係者が取り仕切っているサイトである。論調は徹底した反体制、左寄りのスタンス。そして編集の基本方針はスキャンダリズムである。


 左派のスキャンダリズムメディア、という存在はもう、紙の雑誌では消滅してしまったが、その精神を継承するネットメディアなのである。


 つまり、文春の現編集長に対しては、政権への立ち位置では水と油、天敵のような間柄なのだが、それにもましてスキャンダル発掘のその手腕を、敵ながらあっぱれ、とリテラは評価しているのだ。


 ネガティブな個人攻撃がネット空間全体に蔓延する時代となり、スキャンダリズムを手放しで礼賛することにも、ためらいを覚えるが、それにしても左のメディアから右のメディアへのこの手の“エール”は最近では珍しく、嬉しさも感じる。


 文春の誌面は確かに今、大人しい。その点、新潮は例の高木毅“パンツ大臣”の追及を、まだまだ続けている。しつこい、というか、これはもう“首を取る”ところまで続けるつもりだろう。


 スキャンダリズムを全肯定するには、今もなおためらいが残る私だが、相手が権力者なら話は別である。“硬派ジャーナリズム”が委縮しまくっているこのご時世、下ネタであれ何であれ、とことん立ち向かう気概は、それでこそ週刊誌、のスピリッツである。

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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」(ともに東海教育研究所刊)など。