医療や医薬の世界を追っかけはじめて10年くらい経つものの、恥ずかしながら、今年ノーベル生理学・医学賞を受賞した大村智・北里大学特別栄誉教授について、ほとんど何も知らなかった。


 受賞以来のニュースで、オンコセルカ症(河川盲目症)などの薬として使われる「イベルメクチン」の誕生に貢献したことや、絵画に造詣が深く、美術館を丸ごと寄贈したことなどは広く報じられている。だが、もう少し詳しく知りたいなぁと考えていたところ、さすがはノーベル賞をとるほどの学者である。目を付ける人は目を付けていた。


『大村智 2億人を病魔から守った化学者』がそれだ。ノーベル賞の威力も大きいのだろう。手にしたのは4刷。


 生い立ち、都立高校の夜間部の教員から研究者として成長するまでの経緯、研究者としての華麗なる人脈構築、輝かしい研究実績……と、「これ1冊で十分」というほど余すことなく記されている。


 もちろん、研究の詳細や大村氏の人的ネットワークが築かれた経緯など、薬にまつわる本筋の話は十分興味深いのだが、誰にとっても役に立ちそうなのは大村氏の仕事術だ。個人や組織が成果を上げるためのノウハウが随所に詰まっている。


 大村氏は、高校時代に始めたスキーに熱中して、大学時代に、「伝説のスキーヤー」「スキーの天皇」と言われていた横山隆策氏(ちょっと調べてみたが、この人もなかなかの人物だ)に師事する。そこで学んだのは、〈人真似ではその人レベル止まり〉〈人から教えてもらったことをやるのではなく、自分たちで技術を研究することが大事〉という後の大村氏の研究哲学とも言える考え方だ。そういえば、学生時代に合気道を習った先生(合気道の始祖・植芝盛平の直弟子の一人)も同じようなことを言っていたなぁ。


 一方で、初心者が愚直に下働きすることの効用も説く。大村氏は、北里研究所の研究員として採用された頃、教授の黒板拭きや論文の清書を命じられるのだが、講義に同行しての黒板拭きでは知識を蓄積し、〈論文を清書していると専門的な知識に触れることができるので、それだけでも勉強になる。時に疑問点を見つけると、自分なりに文献を広げて調べてみた〉という。


 大村氏は、〈自分のやった研究室の経営の柱が人材育成であった〉というだけに、後進の育成にも長けていた。研究室から教授になった人が27人もいるのだとか。貧しかった頃の中国人研究生のために構内に宿泊施設を用意したりもしている。


■独立採算で「研究を経営」


 と、ここまでは研究で実績を出し、教育に熱心という優秀な研究者の話なのだが、大村氏が凄いのは、化学者の領域をはるかに超えたところでも能力を発揮しているところだ。


 ひとつは、ノーベル賞受賞ですっかり有名になった芸術分野。そして、もうひとつは、経営者、マネジャーとしての優れた手腕だ。


 海外でも「大村方式」として知られるようになった、ウィン-ウィンの産学連携の仕組みはこうだ。


〈まず大村が創薬につながる微生物由来の天然化学物質を見つけて特許をとる。特許の専用実施権は企業に与える。また見つけた化学物質と研究成果は提供するので、製薬企業はそれをもとに薬を開発してビジネスにする。ビジネスになった場合は特許ロイヤリティを大村に支払う。ただし企業は、特許が要らなくなったら大村に返還する〉


 大村氏は、財政が逼迫していた北里研究所で、研究室の閉鎖を迫られたことがあったが、この仕組みで得られた特許ロイヤリティを資金源とする独立採算制の研究室に衣替えして、危機を乗り越えた。


〈研究を経営〉するこの発想は、後に北里研究所の理事長となって生きてくる。巨額の借金を抱えていた北里研究所および北里大学の経営再建を手掛けたうえ、埼玉県に第2病院となる「北里研究所メディカルセンター病院」の建設まで主導した。後に大村氏は経営手腕と美術への造詣の深さを見込まれて、女子美術大学の理事長にも就任している。


 研究でも経営でも超一流。こんな人っているんだなぁ。


 凡百のビジネス書を読むより、役に立つ。予算がないと嘆くより、まず行動したくなる。そんな1冊だ。(鎌) 


〈参考データ〉

『大村智 2億人を病魔から守った化学者』 

馬場錬成 著(中央公論新社2100円+税)