年が明けて新年を迎えても気になるニュースというのがある。そのひとつが昨年末、新聞紙面をにぎわした、韓国ソウル中央地裁が言い渡した産経新聞前ソウル支局長に対する無罪判決のニュースだ。新聞各紙によって主張に異なる点があり、社説においてその違いがはっきりと表れている。前ソウル支局長の事件は一体、何だったのだろうか。新聞各社の社説を参考にしながら考えてみた。


■うわさの引用には慎重さが必要


 12月18日付のソウル前支局長の無罪判決ついて産経新聞の社説(主張)は「改めて、この裁判の意味を問いたい。公判の焦点は何だったか。それはひとえに、民主主義の根幹を成す言論、報道の自由が韓国に存在するのか、にあった。裁かれたのは、韓国である」と書き出す。


 そして無罪判決を「妥当な結論である」としたうえで「最後の最後で、韓国司法の独立性や矜持を国際社会に示したものと受け止めたい」と主張する。見出しも「言論自由守る妥当判決だ」と評価して大きく付け、社説自体の扱いも一本という通常の2倍の分量だった。


「なるほど」と思わずうなずいてしまう巧みな論理展開であり、書きぶりである。産経新聞だけを読んでいると、この主張に正当性があると信じて疑わないだろう。


 産経の社説などによると、問題にされた前ソウル支局長のコラムは、旅客船「セウォル号」沈没事故当日の朴(ぱく)大統領の所在が明確でなかったことの顛末を韓国紙の記事や噂などで紹介し、これに論評を加えたものだった。


 検察側は前ソウル支局長が「噂を虚偽と認識して記事を書き、大統領を誹謗する目的だった」として懲役1年6月を求刑していた。


 毎日新聞の社説(12月18日付)は「無罪でも釈然としない」との見出しを掲げ、書き出しで「『言論の自由』を認めた当然の結論だが、釈然としない点も多い」と指摘する。


 その理由については裁判長が判決の言い渡しに先立ち、日韓関係を考慮して善処するよう韓国外務省から要請されたという異例の措置を上げ、「この要請が判決に影響を与えたとしたら行政による司法への介入になってしまう。三権分立を基軸とする民主国家では、あってはならないことだ」と論じる。その通りであり、あきらかな政治判断だ。


 産経の社説も「判決が行政の影響下にあったことを疑わせるもので、『法の支配』が揺らぐ」と指摘している。 


 ところで毎日の社説が大きな意味を持つのは次のカ所である。


「今年3月の公判で裁判長は『うわさ』の真実性を否定する見解を示した。加藤記者も産経新聞で発表した手記で『(裁判長の)見解に異を唱えるつもりはない』と表明した」と書いた後、「事実誤認を怠り風評を安易に書いたことは批判されても仕方がない。『うわさ』と断りさえすれば何を書いてもいいわけではない」と明言している。


 朝日新聞の社説(同日付)も「判決は記事が取り上げた『うわさ』について、虚偽であることを全支局長は認識していたと認定した。産経側も裁判の途中からそれに異を唱えなかった。報道機関としての責任をまっとうしたとは言えまい」と産経新聞を批判している。読売新聞の社説(同日付)も「前支局長が風評を安易に記事にした点は批判を免れない」と指摘し、東京新聞の社説(同日付)も「ソウル在住だった加藤氏は、うわさを引用するのなら相応の表現をする慎重さが必要だったのではないか」と論じている。


■大騒ぎするような問題なのか


 こうした各新聞社の批判に対し、産経新聞はこれまで「公人中の公人である大統領に対する論評が名誉毀損に当たるなら、そこに表現や報道の自由があるとはいえない」という主張を繰り返してきた。それはその通りなのだが、問題のコラムの内容は、旅客船の事故当日に朴大統領が元側近の男性と会っていたという「うわさ」を紹介したものだ。韓国の政治や経済の問題を取り上げた高度な次元の内容の記事ではない。次元の低い話なのだ。しかもウラなどなかなか取れない話だ。そう考えると、今回の報道はここまで大騒ぎする問題ではなかったのかもしれない。


 ただ産経の社説が「起訴を含む、これらの問題をめぐっては、国際ジャーナリスト組織『国境なき記者団』や世界の報道機関の会員組織『国際新聞編集者協会』などが抗議声明を出し、米紙なども韓国当局の措置を批判する記事を掲載してきた」と書いているように世界的な大きな問題へと発展したことは事実である。


 この点に関してはどの新聞も肯定的あり、韓国の非もはっきりと認めている。


 たとえば朝日の社説。無罪判決を「言論の自由を保障した法に照らし、当然の判決である」とし、「そもそも、大統領の気に入らない記事を書いたとしても、検察という公権力が記者を起訴すること自体が異常だった」「権力者の意向次第で報道機関の記者を訴追することが、韓国の民主主義にどんな禍根を残すのか、考えなかったのか」「日本のみならず、海外のジャーナリスト団体などからも、韓国政府に対し、強い懸念の声が相次いだのも当然だった」と主張している。


 韓国中央地裁は無罪判決の理由について「韓国は民主主義を尊重する。外国人記者に対する表現の自由を差別的に制限できない」としていたが、韓国政府はこの言葉を忘れてはならない。 (沙鷗一歩)