甘利明・経産大臣が建設業者からの現金授受疑惑で辞任した。その翌日、つまり本日29日のネットニュースをチェックすると、不倫問題の渦中にあるタレント・ベッキーが休業することになった、という記事がアップされていた。いずれも週刊文春が今月、放ったスクープが巻き起こした波紋だ。


 あのSMAP騒動の報道では、週刊新潮が一歩先んじたが、この話も、そもそもの発端は1年前、文春が掲載したジャニーズのメリー喜多川副社長への単独インタビューだった。そう考えると、週刊誌的な物差しで見た今月の3大ニュースはすべて、文春が火を点けて燃え上がった話だった。


 今回、本コラムのタイトルに取った「センテンス・スプリング」は、ベッキーが不倫相手のアーティスト・川谷絵音とのラインでつぶやいた「文・春」の直訳だが、すでに流行語になりかけている。今週号の続報によれば、川谷との密会に細心の注意を払っていたベッキーは、昨秋の段階から「文春あたりなら、けんちゃん(川谷)が結婚していることを、掴んでいるかも」と警戒していたという。


 ライバル誌・新潮は甘利氏を告発した人物の右翼団体にいた経歴などを調べ上げ、『「怪しすぎる情報源」の正体』という特集を載せたが、文春にしてやられた悔しさがありありで、少々見苦しい。記事の結びも「甘利氏らの脇の甘さには呆れるばかり」と書かれていて、結局は、そんな人物とズブズブだった甘利事務所のモラルはどうなっているのか、という印象を強めただけだった。


 昨年来、筆者は文春と安倍政権との“ベッタリ感”について何度か言及してきたが、こうして政権に最大級の打撃を与えてみせるところには、「さすが」と敬服するしかない。何というか、「迫力ある記事なら何でもいい」という“節操の無さ”はやはり、週刊誌メディアならではのものであり、新聞やテレビの物言いが、政権からのプレッシャーでどんどん息苦しくなってゆく中で、独特の存在感を示している。昨年は、百田尚樹氏の『純愛』騒動で、作家タブーの存在をさらけ出す失態も見せてしまったが、こうしてまた、「誰に対しても牙を剥く姿勢」を取り戻してくれたのは、好ましいと思う。


 今週号の甘利氏追及記事第2弾では、半年がかりで裏取りを重ねていったスクープの内実が明かされている。結局のところ、こうした手間暇と人員・コストをかけ、スクープを取ろうとする執念と実績が群を抜いているために、さまざまな情報提供者が文春へと集まって来るのだろう。


 雑誌業界全体では、右肩下がりで市場が縮小し、各誌とも人を減らし、取材費や原稿料まで削り続けている。文春に対抗しようにも、力量の差は開く一方であり、もはや文春対その他、という“一強多弱時代”が、はっきりしてしまった。


 できることならば、他の雑誌も奮起して、何回かに一度は、意地を見せてほしい。週刊誌の記事が、世の中を動かす。そんな事例がこれからも時折見られれば、“単なるオジサンの暇つぶしメディア”という、雑誌黄金期を知らない世代の週刊誌を見る目も変わってくるだろう。そうなれば、雑誌発行部数の長期低落傾向にも、どこかで歯止めがかかるかもしれない。
 
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三山喬(みやまたかし) 1961年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」(ともに東海教育研究所刊)など。