“成功者”を無条件に敬う人がいる。どんなジャンルでも抜きん出た立場にたどりついた人は、人一倍自己研鑽を重ねてきた尊敬すべき人だ、と彼らは信じている。だが取材者という職業柄、各分野の目立つ人々に会ってきた経験から言えば、成功者か否か、という話と、その人の人格は切り離して考えた方がいい。


 スポーツや芸術など、実力がはっきりと目に見える分野はまだいい。傑出した才能や努力なしに成功はあり得ないからだ。だが、世の多くの職業では、さほど明確に能力が測れるものではない。とくに、組織人としての成功には、人を束ねてゆく適性より、上昇志向そのものの強烈さがものを言うことが少なくない。


 昨今は、「ハングリー精神」などとして、そういった性向は称揚されがちだが、ひねくれ者の私は往々にして、このタイプに「あさましさ」を感じる。


 たとえば国政を司る政治家たち。彼らはどのような能力で、その立場にいるのか。明晰な判断力や識見か。世のため人のため、という人格者も中にはいるだろう。だがそういった諸々にもまして共通する特性は、やはり権力や名誉への執念に思える。膨大な労力を必要とする選挙というシステムに頼る以上、ある意味、避けられないことでもある。結果として、産休不倫の宮崎謙介氏をはじめ、「選良」とは呼び得ない代議士が続出する。


 週刊文春の今週のスクープ『秘書への傷害事件で刑事告訴も 安倍首相 河井克行補佐官の暴力とパワハラ』を読み、同誌の果敢さには痛快さを覚えても、話の内容そのものにさほど驚きを感じないのは、この手の人物が政界にはおそらく少なくないことを、誰もがもう、薄々はわかっているからだ。


 移動中、運転の仕方や言葉遣いなど、ささいなことですぐ腹を立て、後部座席から秘書を足蹴にする。時には山中に秘書を置き去りにしてしまう。選挙区のライバル政治家のポスターを剥ぎ取るよう、秘書に命令する。そんな無理無体の連続に、当然、秘書は次々と事務所を去る。文春に告発した元秘書は就職時に「二百数十人目(の採用者)」と言われたという。被害者は身内の秘書だけではない。地元広島には、この代議士の仕事を断るようになったタクシー会社もあるという。


 今週の文春にはもうひとつ、興味深い記事があった。『和歌山6千万円窃盗事件 74歳“大富豪”が赤面証言 「容疑者とは3回して、翌日盗まれた」』である。東京の「交際クラブ」なるシステムで、27歳の自称モデル女性と出会い、自宅に呼び、現金や貴金属を盗まれた人物の話で、ワイドショーなどでも大きく報じられていた。


 酒屋や金融業で財を成したというこの被害者、相手の女性には「謝ってくれさえすればいい」と寛容で、失ったカネに執着していない。自宅には、ルノアールや藤田嗣治の高価な絵が無造作に飾られている。だが、その一方、文春記者のインタビューを受けながら、唐突にアダルトビデオを流し始めたりもする74歳である。


 巨万の富を持つこの被害者、事業の面では彼も人生の“成功者”と呼ばれるのだろうが、だからといって敬ったり、羨んだりする気持ちになるのは、なかなか難しい。
 
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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。