のっけから雑誌の話でなく恐縮だが、11日の朝日新聞にアメリカの経済学者クルーグマンのNYタイムスコラムが転載されていて、これがなかなか興味深い。「人種間・民族間の憎悪を冷笑的に利用して政治的優位に立とうとする共和党大統領候補」はトランプだけでなく、彼を追うルビオもクルーズも同じであり、トランプはあまりに身も蓋もない言い方でそれをさらけ出し、共和党主流派の“もっともらしさ”を剥ぎ取ってしまうために敵視されているのだという。



 つまりクルーグマンから見れば、有力3候補はすべて「ペテン師」だが、トランプはその構図を浮き彫りにする、という点で、他の2人よりましだというのである。


 現地の実情を知らないと何とも言えないが、今週の週刊文春と新潮がたまたま、トランプと接点のあった日本人の記事を載せている。新潮のほうは、トランプのカジノで15億円もの大勝負を挑み、敗れ去った山梨の富豪(故人)をめぐる話で、文春は、経営コンサルタントや銀行マン、興行関係者などの証言をまとめている。いずれも断片的な情報で、あくまでもうっすらとしか人物像は見えないが、少なくともビジネスマンとしてはそれなりの常識や判断力をもつ人物にも思われる。「ただの暴言オジサンと思っていると、日本人も足をすくわれますよ」という証言者もいる。


 政治家個々人のスキャンダル暴きは別として、政治的なテーマに関しては“親安倍政権”的な文春と新潮だが、高市早苗総務相による国会での「テレビ電波停止答弁」を扱った今週の記事では、まさに正反対の論陣を張った。


 新潮のほうは『「高市発言」を叩き続ける「朝日新聞」に違和感がある』という従来通りの記事である。大臣発言は報道への圧力でも何でもなく、過去の答弁を踏襲しただけだ、と高市大臣を擁護している。彼女の発言については田原総一郎氏や鳥越俊太郎氏ら数人のキャスターが共同で抗議会見もしているが、新潮は例によって“悪役”を朝日新聞に絞り、お約束通り日本会議メンバーの法学者・百地章氏のコメントを中心に、“いちゃもんをつけるほうがおかしい”という方向で記事をまとめている。


 ところが文春は、『テレビの天敵 高市早苗総務相 嫌われる理由』として、真逆の立場をとる。過去の政府答弁で電波停止が言及される時には、「慎重に判断すべき」という前提が必ず抱き合わせにされてきたが、高市答弁では、この前提が消えたために反発が湧き起こった、という今回の騒動のポイントも、きちんと押さえている。


 文春はまた、待機児童問題で注目のブログ「保育園落ちた日本死ね」についても『母親ブロガー独占告白』という記事を載せ、その主張に共感するスタンスで敏速に反応した。おそらく次号の週刊新潮には、このテーマでも、ブロガーに冷ややかな反対の論調で記事が載ることだろう。


 文春はまさに融通無碍、「スタンス」なるものがあるのかどうかさえ怪しい媒体だが、過去数十年、右派擁護で微動だにしない新潮もそろそろ、その硬直した姿勢の得失を考えてもいいような気がする。


 左派論調が強かった時代、“イジワル親父の独り言”的な風刺精神を感じさせていた新潮だが、ネット時代になり、その“ブラックな物言い”が世の支配的な流れになる中で、いつの間にか冷笑的・攻撃的言論の先頭に立つような形になってしまっている。


 文春編集長は最近、ベッキーの不倫問題で、文春の特ダネ以後、想像を絶するネットバッシングが拡大したことへの驚愕と反省をインタビューで明かしている。自らを長年、「ゲリラ媒体」として、マスコミの外側に位置付けてきた雑誌業界だが、そんな“無責任体質”を正当化するのも、なかなか難しい時代になっている。
 
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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。