『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』で約30年ぶりに登場したハン・ソロは、往年の片鱗を見せつつも、息子に対する思いをにじませる姿が印象的だった。現実のハリソン・フォード(73歳)もまた、父親としての心情を吐露した。今年(2016年)3月7日、FACES(ニューヨーク大学てんかんセンターに拠点を置く関連団体)が、主催したガラ・ディナーで司会を務めた際、娘のジョージア(26歳)がてんかん患者であることを公にし、「彼女は私の“ヒーロー”」と涙ながらに語ったのだ。
ジョージアが初めて発作を経験したのは子供の頃、2回目はその数年後だったが、受診してもてんかんとは診断されず、初回に処方されたのは偏頭痛薬だったという。ロンドン留学中の9年前に再び発作が起こったのち帰国し、ニューヨーク大学てんかんセンターでてんかんとの診断を受けた。適切な薬剤の処方と治療のおかげで以後8年間は発作がないという。米国きってのタフガイの存在感が功を奏したのか、このイベントを通して500万ドルの寄付が寄せられ、てんかん研究とケアのための基金となった。
長い年月を経てようやく、自分自身のてんかんを明らかにした有名人もいる。18歳からオーストラリアのラグビー界で名選手・名コーチとして活躍し、“The King”と称えられるウォリー・ルイス(56歳)だ。初発は20歳のとき、自宅で朝食を食べながらテレビを見ていると突然上気し、自分ではコントロールできない何かが体の中で盛り上がってくるような感覚が生じたが、かかりつけ医の見立ては“インフルエンザ”。以後、毎年数回の発作を経験し、入院精査でてんかんとの確定診断を受けたときは27歳になっていた。それまでの10年間で試合中に40〜50回の脳しんとうを経験していたものの、発症との因果関係は不明だった。
ウォリーは病名を20年間も秘密にしていた。図らずもカミングアウトしたきっかけは“放送事故”だ。2006年11月末、現役引退後にスポーツキャスターとして担当していたテレビ番組の放送中に複雑部分発作が起きた。YouTubeに残された動画で、“Good evening”のあと口ごもり、困惑した表情が2秒ほど映し出されてから、唐突に画面が切り替わる様子がわかる。彼はこれを機に長年保留していた外科手術の可能性を探り、翌2007年2月にメルボルンのオースチン病院で左内側側頭葉切除術を受けた。
日本てんかん学会の『てんかん外科の適応に関する指針』(2008年)には、「てんかん外科が目指すもの:QOLの改善」として、「手術の意義は、手術で得られるもの(発作の消失に伴ったQOLの改善)と失うもの(機能障害や合併症)とのバランスの上に成り立っている…手術が終われば、すべてが解決するものでもない。自立した生活に復帰するための支援(カウンセリングや就労訓練)を必要とする患者も多い」との記述がある。
ウォリーの手術もまさにこのとおり。検査入院3日目に“運よく”発作が起こり、てんかん焦点は明らかになったものの、術後には短期記憶の障害に悩まされ、うつ状態に陥った。自殺願望にさいなまれるほどのどん底から回復への道を歩むことができたのは、家族、ラガー時代やテレビ局の友人、カウンセリング担当のナースを含む医療チームの支えがあったからだ。手術の7か月後からは徐々にスポーツキャスターの仕事にも復帰した。30年以上連れ添い、ウォリーの病状をはらはらした気持ちで見守ってきた妻のジャッキーは、手術後の彼は「何でも任せておけ」的なタフガイから、少し涙もろく、他人の気持ちがわかる“a better man”になったと語る。
ウォリーのもとにはさまざまな患者や家族から励ましの便りが届く。生後半年から1日20〜25回の発作があったが外科手術が成功したので「電話をくれたらいつでも相談にのるよ」という9歳の少年、外科手術には不適応と判断されたが前向きに生きている青年、病歴40年ながらウォリーのインタビュー番組を見て61歳にして外科手術を決意した男性…。他の患者の経験に触れ、テレビ番組やコマーシャル、イベントなどを通して、てんかんやうつ病の啓発活動に携わる決意をした近年のウォリー(動画)は、記憶や言語の障害を感じさせない。
3月26日はパープルデー。発作の頻度や種類を含め、てんかんの症状は十人十色。まずは多くの人が「てんかんを知る」ことが、未診断のまま適切な治療にたどり着けない患者、病名を明かせず苦しむ患者・家族が、暗闇から一歩踏み出すための力になる。(玲)