世の大半の人と同様、自分の価値観や尺度にも“偏向”があることを認めたうえでの印象だが、主要4誌のうち、底意地の悪い“ブラックな記事”の多さでは、週刊新潮の右に出るものはない。面識のある編集者はみな、穏やかで知的な常識人なのに、熱烈な固定読者から寄せられる期待ゆえか、とりわけ“リベラル”な社会現象や人物に対しては、時に客観性をかなぐり捨て、悪意だけでこき下ろそうとする。
だが、そんな好みの問題を脇に置けば、このところの“文春ひとり勝ち”の状況を突き崩すべく、必死に食い下がっている競合誌は、新潮しかない。新聞社系の週刊誌も含め、他のほとんどの雑誌には、残念ながらもう、そういった気概は見てとれない。インパクトのあるスクープで文春に対抗する術はない、とあきらめてしまった観がある。その意味で、新潮の不屈の精神には、敬服の念を禁じ得ない。
今週号のスクープ記事『参院選「自民党」最強の切り札の背徳的生活! 一夫一婦制では不満足 「乙武クン」の不倫』を見て、改めてそう感じた。若き日の大ベストセラー『五体不満足』以来、清潔感のあるイメージで売ってきた身体障害者の知識人・乙武洋匡氏の思いもよらないスキャンダル発覚だ。
取材記者が「動かぬ証拠」を握ったのは昨年末、一緒に海外への不倫旅行に出かけた相手との関係だけだったが、やはり根は正直な人なのか、記者とのやり取りの中で、結婚後、ほかに4人の女性と不倫関係にあったことを自分から白状してしまった。
また記事が世に出た後、本人と一緒になぜか妻が「反省」を表明したことで、さまざまな打算が透けて見え、逆効果の反応を広げている。沈静化どころか、火に油を注いでしまっている形だ。
さっぱりした実直な人柄に思えていた乙武氏だが、檜舞台での活躍をめざす人々は、その内面にやはり、人一倍強烈な上昇志向と欲望が黒々と渦巻いているものなのか。「ショーンK」氏の経歴詐称問題でも感じたことだったが、人物の評価は(とくにメディアを通じてしか知らない人に対しては)、パッと見の印象で下してはならないものであることを、改めて痛感した。
新潮は先週号でも「安倍チルドレン最凶のチャラ男」として石?徹代議士の女癖の悪さを報じたほか、今週はやはり自民党代議士・長崎幸太郎代議士の「カネと女性」をめぐる怪文書が出回っていることを取り上げている。
前回の本欄でも触れたが、職業ジャーナリストの命は、足を使った取材である。人と会い、話を聞く。当然のことながら、そこには手間暇とコストがかかる。有料媒体はその負担を惜しめばもう、生き残る術はない。ネットで出回っている無料情報と差別化ができなくなってしまうのだ。
新潮社は月刊誌の『新潮45』においても、頑張ってノンフィクション記事を載せ続けている。コストがかさむ割には売り上げにはつながりにくい、つらいジャンルである。だが、年明け以来の文春の成功が物語っているように、ある意味、そうやって愚直に取材をするノウハウを守り、磨く以外、既成の紙媒体がめざす方向は、残されていない。経費削減ばかり追求する媒体には、縮小再生産の道しかない。
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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。