案の定、と言うか、懸念した以上に、週刊新潮の“スクープ”はぐだぐだの展開になってしまっている。保育園問題で一躍、民進党の看板になった山尾志桜里代議士のガソリン代疑惑のことだ。
政権によるあからさまな“政敵潰し”の臭いが濃厚な今回の一件だが、政治家に不正疑惑があるのなら、雑誌がそれを暴くことは何にせよ、まっとうな行為である。ただし、権力との結託を疑われたくないのなら、当然のことながら、与党であれ野党であれ、スキャンダルは叩く姿勢を見せ続けなければならない。政権側に疑惑が見つかれば、それもまた「返す刀」で書いてみせる。それこそが“雑誌屋”の持つべき気概である。
先週の本欄で、そんなことを書いたら、何と1週間もしないうちに、まさにその気概が問われる展開になってしまった。政権側大物にも同レベルかそれ以上の「ガソリン代疑惑」が噴出してしまったのだ。
これには新潮もさすがに、《民進党のホープが開けたガソリン代「パンドラの箱」「山尾志桜里」は地球5周分でも「菅」も地球5周分》と銘打ち、記事のリード(前文)でも《はからずもパンドラの箱が開き、菅官房長官も同程度を計上していることが判明。ガソリンの謎が飛び火した恰好である》という具合に、その広がりを問題視するポーズを取らざるを得なかった。
ところが、あくまでもそれはタイトルとリードだけ。肝心の記事の内容はまったくの腰砕けだった。山尾議員に対しては、プリペイド・カードによる多額のガソリン使用料について、有権者にカードを配ったり、換金して目的外使用したりした疑いを強く打ち出している一方、ほぼ同額を使っている菅官房長官については、匿名の「政治部デスク」なる人物の談話で「神奈川県全体が菅さんの選挙区みたいなもの」「だからガソリン代が嵩んだのでしょう」などと、根拠薄弱な擁護論を繰り広げているのだ。
それどころか、この2人の倍以上、「地球12周分」のガソリン代を計上した安倍首相に対しては、山口県の選挙区の広さに触れたうえで「“達成可能”な数字と言えなくもない」として、これもまたよくわからない理由で、「問題なし」としてしまっている。首相の名はタイトルにもリードにも出さない気の遣いぶりである。
よもやこんな展開になるとは予想だにしなかったのか、何ともカッコ悪い記事になってしまった。問題は、先週の記事ではない。今週のこの続報によって、第1報の目的が、疑惑の中身でなく、いったい誰の醜聞か、というターゲットの問題だったことを事実上、白状してしまったのだ。
こういった部分では、ライバル誌・週刊文春のほうが、やはり上手である。現在の編集長は安倍首相の著書の担当編集者だったこともあり、少し前までは“政権ベッタリ”と見なされる誌面づくりをしていたが、このところは世論の風向きを見てとって、政府自民党を叩いている。今週の巻頭も《「消費増税」はじめ難題全部先送り スキャンダル隠し! 衆参ダブル選の姑息》という批判記事である。
もちろん、注意深く見れば、文春の政府自民党叩きも、本丸の安倍首相周辺には触らないし、タカ派的な思想信条にまつわる部分も巧みに避けてはいる。それでも、政権側にして見れば、味方だと思っていた文春の“手のひら返し”はさぞ苦々しく映っていることだろう。
結局のところ、雑誌屋はあらゆる権威に嫌われ、怖がられてなんぼである。権威にへつらった途端、その権威からも舐められる。すでに新聞やテレビが舐められまくっている今だからこそ、最後の砦たる週刊誌こそ、無定見・アナーキーであってほしいと改めて思う。
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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。