RISFAX2月26日号で、「医療界に消費税率10%の『凍結』懸念」と題する記事が掲載された。大要を改めてながめてみる。


 17年4月の消費税率10%への再増税が実施されない場合、医療機関の控除対象外消費税問題の「税制上の抜本解決が遠のく」(病院団体幹部)と懸念する声が出ている。16年度与党税制改正大綱にあるのは、10%を前提にした見直し方向で、凍結、中止、延期といった実施しないケースを織り込んでいない。医療界は積年の課題に10%時でケリをつけたい意向だが、再増税は安倍晋三首相の判断に委ねられる。


 安倍首相は衆院財務金融委員会で、「リーマン・ショックや大震災のような重大な事態が発生しない限り、確実に実施していく」と従来の答弁を繰り返した。ただ「重大な事態」に関して「単に個人消費の落ち込みのみでなく、世界経済の大幅な収縮が実際に起こっているかどうか専門的な見地からの分析も踏まえて、政治的判断で決められる事項だ」と補足した。これまで首相は「リーマン・大震災級」と突発的な出来事を挙げていたが、要因は問わず経済の大幅な収縮という「状況」によっても、再増税を実施しない可能性があることに言及した。


 16年度与党税制改正大綱には、新たに「とくに高額な設備投資にかかる負担が大きいとの指摘等を踏まえ」との文言が加わり「17年度税制改正に際し、総合的に検討して結論を得る」とされた。


 これを受けて、日本医師会は、病院には仕入れ税額控除を導入し、診療所は診療報酬改定のたびに消費税分を検証して適切に上乗せする「分離案」を含め、取り得る選択肢を幅広く検討している。四病院団体協議会は、高額な設備投資への対応を練りつつ、抜本解決に向けて主張する「すべての仕入れ税額控除を受けることができる仕組み」と整合性が取れる提案の構築をめざしている。参院選前の6月をメドに方向性を取りまとめたい意向だ。


 しかし、10%への再増税が吹っ飛べば、大綱に盛り込まれた内容が「空手形」となりかねず「時機を逸して8%時の対応が続けば、多くの病院は補填不足で赤字が膨らみ、経営は逼迫する」(国立大病院幹部)と気を揉む。


 安倍首相や日銀幹部は強弁してはいるが、アベノミクスが日本経済を当初の思い込み通りに牽引していなのは、衆目の一致する段階にまで来ているようにみえる。その中で、7月の参院選を控え、17年4月からの消費税引き上げを強行する理由は徐々に薄らぎ始めているとみるのは当然の見方である。そうなると、上記記事が指摘するように16年度与党税制大綱も吹き飛ぶ。当然のことながら、軽減税率に関する論議も仕切り直しを迫られる可能性は大きくなる。


 17年4月の消費税10%引き上げ予定に際して、医療への配慮がどうなるか、あるいは控除対象外から外すのかという議論は、実は与党の税制大綱で「とくに高額な設備投資にかかる負担が大きいとの指摘等を踏まえ」との文言によって、決着が図られているとの見方が医療団体関係者には共通している。控除対象外消費税としてはそのままだが、高額な設備投資、特に高額医療機器に関しては、例外規定を設けて控除対象とする裏ワザが設定されることで決着が図られるとの見方が支配的なのだ。したがって、医療費の控除対象外消費税問題自体は棚上げとなり、問題はさらに消費税のさらなる引き上げ時まで論議の焦点とはならないというのだ。


 ある医療団体の幹部は、消費税の問題は決着済みとまで語っていたから、引き上げスケジュールが狂うと、与党の「手形」も霧消する。記事が指摘するように、病院の赤字要因は継続し、膨張する。


●目的税化しないから景気動向に左右される?


 まさに17年問題が混迷化し始めたように、消費税の問題を語るとき、日本の問題として特に重視されるのが「景気」との兼ね合いだ。その歴史をたどると、消費税導入論議、社会保障政策、人口問題、経済動向はリンクしながら、さらに社会保障政策が経済的課題、すなわち経済政策と融合しながら進んできた経緯を見ることができる。人口と景気、一定の経済基盤の確立と税のありかたの課題は、近年、医療費・年金を軸とする社会保障政策と密接な関係化で議論が進んできた。


 いや、社会保障政策が、税体系のあり方を変えなければならないプレッシャーとしてのしかかり、そして生まれてきたのが消費税であるという前提の理解を持たないと、この問題がみえてこない。細川内閣が登場した93年、未明に国民福祉税構想として、消費税を福祉目的税化する政策が発表されたとき、メディアも国民も驚いた。むろん、消費税は社会保障財源として構想されて生まれたものだが、単一の目的税として存在する国民的合意はなかったとみていい。この辺りに、日本の消費税の何か曖昧模糊としたものが生まれる背景がある。消費税収入は、主に社会保障財源として使うが、使途が限定されたものではない。であるから、一般の税制と同様に、景気の判断が政策運用のキーとなるのはいわば必然ともいえる。


●そもそも基本的な税法、税制論議は行われていない


 日本が消費税導入を先進国では最も遅いグループに入ったのはなぜか。そして、未だ8%という低い水準にあるのはなぜか。現実に消費税は必要かどうかの本質的論議もきちんと行われたような形跡はない。経済がグローバル化して以降、先進国の税体系モデルに追従したような印象もあるし、そうしたかった景気の変動もあるが、その他の税制体系で対応できなかったのかという問いさえあまり聞いたことはない。


 むろん、現状の政府会計の現状をみれば、国債償還という重しを無視するわけにもいかず、消費税は現状ではなくてはならない税収策になったことは事実として存在するし、10%が政策課題となるほどその存在感は大きくなった。


 消費税が社会保障政策の有力な財源として位置づけられているのは、もちろん日本だけでないし、福祉大国である北欧諸国の消費税の重さはほとんどの人が知るところ。日本でも、導入までの道程をみると、社会保障政策がその要因であることは間違いない。しかし、欧米と決定的に違うのは、社会保障大国を目指し始めた時点で、消費税導入の論議は実は本格化していなかったということである。社会保障政策という目的が明確な財源確保策として登場したというより、財源不足が導入の動機だったのだ。そのため、消費税は目的税化されなかった。言葉は悪いが、行き当たりばったりの末に……ということだ。


●国保加入促進として機能した老人医療費負担の緩和策


 それでも日本における消費税導入の契機は、やはり社会保障政策の展開にある。引き金は老人医療費の無料化政策だ。老人医療費の無料化は田中角栄首相が在任時の73年、「福祉元年」というスローガンを掲げて実施されたという印象を持つ人がいるが、当時の政府施策は先行していた一部地方行政の追随だった。


 最初に老人医療費の無料化に踏み切ったのは、岩手県沢内村(現在は西和賀町)だとされる。60歳以上を対象とし、その後の70歳以上とは違う。沢内村がこうした政策に踏み切ったのは、58年に国民健康保険が市町村運営となり、国保加入を促すと同時に、高齢者の健康政策を打ち出すという目的があった。国保に加入させ、60歳以上の高齢者の健康促進を図ることをアピールしながら、当時は農村部でも多かった若い人の国保加入者による国保財源調達を進めた。当然、健康政策は若い人にも浸透し、70年代から以後、沢内村は今でいう生活習慣病対策を先取りし、健康先進地域として有名になった。


 少し横道に入ると、この頃は農村部を中心に沢内村だけでなく、国保直営診療所が地域医療に大きな貢献を果たしていた形跡がある。地域医療というより地域保健というべきかもしれないが、国保直営診療所が住民のところに積極的に出かけ、住民健康管理を行ったという事実はかなり残っている。逆説的にいえば、老人医療費の無料化は医療機関を受診するハードルを下げて、地域ケアの本来的なモデルを消してしまった効果もあるかもしれないのだ。50歳くらいまでの医師はこうした経緯を学んだことはないらしく、長野県の健康長寿の状況を、医師が寄り付かなかったからだ、過剰な医療サービスがなかったからだと無茶な意見を示す人がいる。少なくとも、国保運営が地域保健を活性化させかけた歴史はあり、それが住民を医療保険に加入させる政策だった。むろん、61年に国民皆保険制度の実施によって、市町村のそうした工夫、努力は急速に力を失う。


●高度経済成長と国民皆保険


 ただ、老人医療費無料化、低減化の波は、市町村をその後も洗い続ける。67年に美濃部亮吉が革新系政党や団体の支持を得て、東京都知事に当選し、公約に沿って東京都でも70歳以上の無料化が導入された。国民皆保険制度の導入という契機もあったが、国民の間に受療意欲が飛躍的に大きくなったことは当然だ。また、この頃は高度経済成長の真っただ中。高齢者割合も小さく、保険料収入をはじめ、無料化のための財源にはゆとりがあったとみることができる。70年当時、老人医療費無料化を施行していたのは、東京都をはじめ54市町村に上っていたという記録もある。


 こうした動向を受けて73年、政権を担当していた田中角栄首相がついに、福祉元年を宣言して老人医療費を国家政策化し、これがほぼ10年続くことになる。国民の受療意欲は拡大し、病院が老人サロンになったと揶揄される時代が始まった。


 しかし、その73年に第1次オイルショックが起こる。OPECが21%の原油価格引き上げを実施したことに端を発したが、日本経済は翌74年には戦後初めてのマイナス成長になってしまう。田中首相の福祉元年構想は、早くも風前の灯となってしまうのである。ただ、消費税導入論議は79年の第2次オイルショック以後に本格化する。76年に大平内閣が一般消費税構想を打ち出した経緯はあるが、第1次オイルショック後の景気状況から、消費税導入は景気減速につながるとして立ち消えた。景気減速につながるという指摘は、その後の状況をみても当たっている。安倍政権が、17年10%移行を躊躇し始めたのは、当然と言えば当然の成り行きである。


 75年に、当時の厚生省人口問題研究所が、民間団体との共催で小さなシンポジウムを開いたことがある。記録が残っていないのが残念だが、そのときに将来の人口の高齢化予測を示す中で、少子高齢化時代には、社会保障目的税の必要性が論議された。労働生産人口が多く、一定の経済成長が見込める中では、累進性の所得税中心の税体系は有効だが、経済成長が低レベルで安定化し、少子高齢化社会になったときは「支出税」が必要になるという意見が示された。「支出税」は前年の74年に米国の税法学者が提案したもの。詳細にみれば、現在の消費税とは考え方、仕組みは少し違うが、累進性に一定の逆進性税制を加味するという点では、そのシンポジウムでは画期的な考え方として注目された。


 消費税という考え方は、国内ではその頃から認識されたとみることができる。ただ、そのシンポジウム、あるいは76年の大平政権の消費税構想は、所得税を中心とした不公平税制批判への対案という側面も大きかった。(幸)