スキャンダル報道で勢いの止まらない週刊文春と、懸命にそれに食い下がろうとする週刊新潮。斜陽化の著しい雑誌業界に、久しぶりに活気をもたらす動きとして、本欄では好意的にこれらを捉えているのだが、こうも似たパターンが続くと、さすがに食傷気味になる。とくに九州の地震被害のような深刻な問題が持ち上がると、有名人の“滑った転んだ”を騒ぎ立てる報道には、一種、嫌悪に近い感情も覚えるようになる。


 かといって、現代やポストに目立つ“薄味の企画記事”がいいと言うつもりもない。特定の狙い目のテーマに人員やコストを投入するのなら、その対象は有名人の粗探しだけでなく、派手さには欠ける話でも、ずっしりとしたルポルタージュや人物ドキュメントにも広げてほしいと思うのだ。


 今週、とくにそんな気分になったのは、バドミントンの若きエース・桃田賢斗選手らの闇カジノ事件で、さらにまた追い打ちをかける報道が各誌に載っていたためだ。21歳の若者が高額の賞金を得られるようになり、身を持ち崩してしまった。だが、五輪出場の夢を絶たれ、謝罪会見もして、それでもう十分ではないか、と思うのである。


 ベッキーの不倫報道で、予期せぬ“国民的バッシング状態”を引き起こした反省からだろう。同じ取材データを得た文春はワイド特集を構成する1話として、短い記事に収めたが、新潮はこのテーマに4ページを割き、さらなる醜聞を暴き立てている。文春も、記事は短めだが、キャバクラで“酒池肉林”の遊興を繰り広げる新潮と同じ写真を掲載した。


 ちょっとしたことでネットバッシングが吹き荒れる時代になり、週刊誌スキャンダル報道の意味合いは以前とは大きく変わっている。独自の取材力をもたないネットの世界では、週刊誌報道で“生贄”が投げ込まれることを手ぐすねを引いて待ち受けている。そして、ひとたび好みのネタを見つけると、まさにピラニアのように食らいつくのである。


 週刊誌の側も、スキャンダル報道の相手を“叩く”“懲らしめる”といった感覚をそろそろ見直すべきだろう。少なくともネットによる“私刑”とは一体化しないよう、距離を取る工夫が必要だと思う。


 今週の新潮は、相変わらず山尾志桜里議員のガソリン代問題に執着し、安倍首相や菅官房長官のガソリン代問題には触らない。政治資金のありようを真剣に考えるなら、問題のすべてを対象とする誠実な取り組み方があるはずだし、民進党を叩きたいにしても、それはまたそれで、与党だけ免罪する揚げ足取りでなく、きちんと正攻法でやるべきだろう。


 その昔、立花隆氏が週刊誌連載で「農協」という巨大組織を描いた時、取材チームに集められた若手らは、まず電話帳のように分厚い農業年鑑を手渡され、国内農業の全体像を学ぶところから準備を求められたという。昔の週刊誌ジャーナリズムには、スキャンダル報道ばかりでなく、こうしたずっしりとした調査報道もあり、この2つが車の両輪を形作っていた。だが、後者の伝統はもう、滅びかけているように思える。


 今週の文春は、安倍首相のお気に入りで、NHKで権勢をふるう政治部女性記者や籾井会長の横暴ぶりを報じたほか、阿川佐和子さんの対談コーナーに首相応援団の“市民団体”からターゲットとされたNEWS23の元アンカー・岸井成格氏を登場させるなど、リベラル色を一段と強めている。毎度言っているように、この雑誌のスタンスは伝統的に掴みどころがなく、その真意はわからないが、目下、政権と対峙できる数少ない媒体になっていることもあり、選挙報道に至るまで、その流れを見守りたい。

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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。