“文春砲”がまたも炸裂した。今週のターゲットは、前杉並区長で自民党参院選候補の山田宏氏。あの「保育園落ちた」のブログについて、「まぁ落書きですね。『生んだのはあなたでしょう』、『親の責任でしょ、まずは』と言いたいところだ」とこき下ろし、物議を呼んだばかりの人物だ。記事によればこの山田氏、愛人との間に隠し子をもうけたうえ、3人の実子の養育はほとんど妻任せ。それどころか、愛人との新生活を望んでのことか、ここに来て“糟糠の妻”に離婚訴訟まで起こしているのだという。


 取材に応じた妻は「女性とお金にだらしないのは間違いありません」と夫を語っている。そんなサイテーの夫・サイテーの父親が、保育園増設を切望する世の母親に「親の責任」を振りかざしていたのである。


 それにしても、新聞やテレビが原則として、下半身のスキャンダルを扱わないためとは言え、週刊誌1誌がちょっと調べてみただけで、次から次へとよくもまぁ、この手の政治家が見つかるものである。自民党は現憲法の「行き過ぎた個人主義」を批判して、家族主義への回帰を唱えているが、いったいどの口でそれを言うか、と呆れ果てるご乱行ぶりである。


 昨日の報道によれば、民主党時代、世界11位だった日本の「報道の自由度ランキング」はついに72位にまで転落してしまった。甘利前通産相の口利き疑惑や宮崎謙介元代議士の“ゲス不倫”の発掘など、もはや週刊文春は、権力に緊張感を与え得る国内唯一の監視メディアになっている観さえある。


 熊本での震災報道においても、「『救援物資は足りているんだから文句は言わせない』と周囲に、居丈高に語っていました」「『こんなメシで闘えるか』と食事に文句をつけることもありました」などと、松本文明・現地対策本部長(内閣府副大臣)の悪評を報じている。松本氏が防災大臣とのテレビ会議の際、自身への差し入れを求めたことは、新聞・テレビも報じたが、締め切りの関係上、文春の取材がそれ以前に行われていたことを考えると、政府が発売前日の20日に松本氏の“事実上更迭”に踏み切った背景には、やはり“文春砲”への警戒心があったように感じられる。


 それ以上に今週、意外だったのは、文春が巻頭の地震特集のトップに『原発は本当に大丈夫か』という記事を持ってきたことだ。専門的な技術論とはまた別に、過去に例のない立て続けの巨大地震の発生に、多くの国民は素朴な感情として“想定外の事態”を恐れている。その意味では、人々の不安を素直に取り上げた記事なのだが、「報道の自由度72位」となった現状では、その程度のものですら“勇気ある報道”に見えてしまう。政府批判を封印する新潮や産経新聞には、絶対に載らない記事である。


 同じ震災特集でも、新潮では、例えばツイッターに蔓延する震災デマを取り上げた記事ひとつとっても、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」という悪質なヘイトデマと、「安倍政権による人工地震だ」という素っ頓狂な世迷言を同列に扱って“バランス”を取っている。


 よくぞこんな書き込みまで見つけ出したものだと感心するが、後者は安倍首相嫌いの人による幼稚な悪口でしかない。中学生でさえ騙せない“デマ”である。片や「井戸に毒」はあからさまな差別扇動で、昨今の風潮では在日の人々への危害さえ現地に生みかねない悪質なものだ。両者を同列に扱って“どっちもどっち”ともっていく論法には、“バランス”の対極にある“作為”という印象しか残らない。


 老婆心ながら、文春と新潮の間には、スクープ発掘力以外の部分でも、差が付きつつあるように思われてならない。

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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。