このところ、ほぼ毎週一回、多いときは週に二回以上、出張で京都と東京を新幹線で往復している。その車窓からぼんやり外を眺めていると、通過するたびに緑が濃くなっていく区画がある。それは京都を出発してから間もなく通過する滋賀県あたりに多い。この時期であるから、濃くなる緑は米の田んぼではなく、麦の畑である。米用の田んぼはちょうど代掻きの最中といったところで、綺麗に区画整理された農地は、濃い黄緑色とベージュ色のパッチワークのようである。


 こう書き出すと、今回の話題は小麦か米か、とお考えの諸氏もあろう。実際、小麦は「ショウバク(小麦)」、米は「コウベイ(粳米)」と称し、ショウバクは甘麦大棗湯、コウベイは麦門冬湯や白虎加人参湯に配合されている生薬である。しかし、今回はこれらが主役なのではなく、筆者が濃くなる緑を眺めながら、そういえば、その畑の脇にそろそろヤツがではじめるころだよな、とふと思った植物が主役である。


 濃くなる麦の陰に隠れて畑の脇で大きくなる植物。麦畑に限らず、除草剤が効いていなければどこの畑にも出現する可能性があるのだが、と書くと、それは雑草ではないのか、と思われるだろう。事実、地下部が生薬になることを知らなければ、この植物は厄介な畑の雑草でしかない。それは、カラスビシャクである。


 地下部の塊茎(日本薬局方では塊茎と表現しているのでここではこう表現するが、球茎という表現のほうがよりふさわしいとする意見もある)が分蘖して増えるほかに、葉の付け根に球芽(いわゆる「むかご」)がついて、これが地に落ちると発芽して新たな個体となる。さらに、次に述べる花の構造が確実に多数の果実をばらまくようにできており、増殖するスピードは爆発的なのである。

  カラスビシャクの花

 カラスビシャクの花 仏炎苞が暗紫色に縁取りされたもの

 

 蛇が鎌首をもたげたようなちょっと変わった形の花は、暗紫色の釣竿様の構造を、仏炎苞と呼ばれる構造が包んでおり、サトイモ科植物に特徴的なものである。印象が異なるかもしれないが、ミズバショウや園芸植物のカラーなども同じ仲間である。

 二階建て構造の雄花群と雌花群 (仏炎苞を除去した姿)

 

 雌花と雄花は多数あって二階建て構造でレイアウトされており、上部にある雄花群から降ってきた花粉が下部の歯ブラシのように並んだ雌花群に確実にふりかかるようになっている。受粉すると雌花の根元が肥大していくが、それらが大きくなって仏炎苞がはちきれんばかりになる頃には花茎が黄色くなっており、重みで地上に倒れこむ。そして地に着いた仏炎苞の隙間から熟した果実が飛び散って、カラスビシャクはどんどん増えていくのである。


黄色くなった花茎が倒れこんでいるカラスビシャク

 

 これほど確実に個体数を増やすカラスビシャクは、抜いても抜いても絶やすことができないので、畑の雑草として嫌がられ者であるが、他方、塊茎をせっせと掘って取り溜めておくと、それなりにいい値段で生薬原料として売ることができたので、売ったお金でタンス預金のヘソクリができた、そこからヘソクリという別名がついた、とも言われている。また一説には、栗のようだが真ん中にへそのようなくぼみがあることから、ヘソがある栗、でヘソクリと呼ばれた、というのもある。


生薬の半夏 右は煎じ用にスライスされたもの

 

 ハンゲは漢方処方では半夏厚朴湯をはじめ小青龍湯や立君子湯など、汎用されるたくさんの処方に配合されている。鎮咳・去痰作用のほかに、鎮吐作用、つまり吐き気止めの作用があるとされており、とくに妊婦のつわりの吐き気にも効果があるとされている。しかし、ハンゲだけをそのまま口にするとひどいえぐ味に襲われるので、素人判断でお使いにならないように願いたい。生姜と合わせるとえぐ味が軽減されるという考えもあるが、感じ方はひとそれぞれのようである。


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伊藤美千穂(いとうみちほ) 1969年大阪生まれ。京都大学大学院薬学研究科准教授。専門は生薬学・薬用植物学。18歳で京都大学に入学して以来、1年弱の米国留学期間を除けばずっと京都大学にいるが、研究手法のひとつにフィールドワークをとりいれており、途上国から先進国まで海外経験は豊富。大学での教育・研究の傍ら厚生労働省やPMDAの各種委員、日本学術会議連携会員としての活動、WHOやISOの国際会議出席なども多い。