「『爽やか—。『五体不満足』の乙武洋匡(おとたけ・ひろただ)氏(39)といえば、ほとんどの人がこのイメージを思い浮かべるであろう。しかし彼は、妻と3人の子どもがありながら、陰で想像を絶する『不義』を働いていた。参院選出馬が注目を集めている乙武クンの、まさかの乱倫正体」


「想像を絶する」とか「まさかの乱倫正体」とかすさまじい表現が並ぶ。「『乙武クン』5人との不倫」の大見出しを付けた「週刊新潮」(3月31日号)の特ダネ記事のリードである。この記事が巷に出ると、他の週刊誌やテレビ番組もこぞって乙武氏の不倫問題を追いかけて報じ、日本中が〝乙武不倫騒動〟となったのは記憶に新しい。


 この私も地下鉄の車内広告を見て週刊新潮を買いに走ったひとりではある。しかしながら読む前から乙武氏がかわいそうな気がしてどこか冷めていた。はっきり言って「五体不満足にもかかわらず、ここまでがんばってきたのだから不倫ぐらいいいじゃないの」という思いがしてならなかった。ただ、その気持ちをどう表現して伝えればいいのだろうか、と頭を悩まし続けていた。


 そこに作家の林真理子さんが、週刊文春(4月7日号)のエッセー「夜ふけのなわとび」でみごとなまでにこう書いてくれたのである。


 「重いハンディがあっても、男の魅力が溢れていれば、女の人は恋心を持つ。女たらしという乙武君の行為は、どれだけ多くの障害者の人たちを力づけたことであろうか。『奥さんは泣かせただろうけど、モテるのは仕方ないよね—。ま、よくやったよ』と、私は彼の肩を叩いてやりたい」


 同じ女流作家の瀬戸内寂聴さんも、4月8日付の朝日新聞のコラム「寂聴 残された日々」で、乙武さんと対談したときの記憶をたどりながら「早稲田の学生になって、ベストセラーの本を出すまでの歳月、人のしない苦労をしてきたかと思うだけで胸がいっぱいになった」と乙武氏を励ましていた。


 なるほど、男の不倫を肯定して書けるのは、女だからこそできる技だと思う。しかも大女流作家に「どれだけ多くの障害者の人たちを力づけたことであろうか」とまで書かれれば、だれも文句は言えまい。さて今回は乙武さんの不倫報道について考える。


■特ダネの狙いは参院出馬の邪魔か


 まずは週刊新潮の特ダネ記事の分析から始めよう。


 記事は2015年12月25日午後11時の羽田空港で、乙武氏と20代後半の美女が肩を寄せ合ってパリへと飛び立つところから始まる。


「俺ら一心同体でしょ」


「一心同体! 乙クンといる自分が一番好き」


 週刊新潮の記者がどこで聞いてきたのか、それともネットで見つけたのか、記事にはこんな2人の親密な会話まで書かれている。


 その記事によると、乙武氏は生まれつき両手両足がない。早稲田大学在学中の1998年に「五体不満足」を出版。それが従来の暗い障害者観を覆して衝撃を与え、450万部を超える大ベストセラーとなる。その後、スポーツライター、日本テレビのキャスター、小学校の教諭、都の教育委員などを歴任した。


 私生活では2001年に結婚し、現在8歳の長男、5歳の次男、1歳の長女と3人の子供を持つ。乙武氏のイメージは、非のうちどころのない「いい人」で、夏の参院選に向け、自民党が出馬の段取りを進めていた。


 こう筆を進めた後で、記事は「ああ見えて、乙武はかなりの女好きでね」という乙武氏の先輩の話を取り上げ、「妻子持ちの乙武氏が妻以外の異性と酒席をともにしてはいけない決まりはない。しかし『その先』は決して許されるものではない。それは不倫を意味するからだ」と断罪する。


 確かに不倫は肯定されるべきものではない。この記事によって乙武氏の清廉さがことごとく打ち破られていく。さらに記事は「彼は猥談好きで、よく自分の『大事な部分』の大きさと機能を自慢しています」などという飲み仲間の話まで紹介し、乙武氏に強烈なパンチを食らわす。


 そもそもこの週刊新潮の特ダネは、その書きっぷりからみても参院選出馬を邪魔するための記事ではないのかと疑いたくなる。事実、選挙が近づくと、下ネタまでさまざまな情報が飛び交う。乙武氏の不倫もそのひとつだったのだろう。海千山千の選挙戦。ネタの出どころは、自民に票を取れたくない野党かもしれない。


 記事の後半で、乙武氏は「はい、肉体関係もあります」と20代の女性との不倫の事実をはっきりと認めている。さらには「はい、これまでに5人と不倫したということになります」とまで告白している。


 週刊新潮の記者の取材に根負けしての自供というより、私には乙武氏の潔さが感じられるが、どうだろうか。ちなみに週刊新潮はこの次の号(4月7日号)でも乙武氏の不倫問題を取り上げ、「一風変わった夫婦同時謝罪」とまで非難しているが、やり過ぎだ。


■大女流作家2人が乙武氏を励ます


 前述したように乙武さんの不倫騒動に堂々とマッタをかけたのが、林真理子さんである。


 林真理子さんは週刊文春(4月7日号)のエッセー「夜ふけのなわとび」の中で「『乙武君、よくやった』という思いが私の中に出てきたのも確かなのである」と書き出し、「だって乙武君は足も手もない。かなり重度のハンディキャップである。それなのに奥さん以外の何人もの女性を口説き、モノにしたのである」と言い切るところなどはさすがである。


 続く文章も「ふだん見ないネットを、気になってちょっと覗いてみた。『抱き寄せて強引にキスをしたり、押し倒したりすることは不可能。それでもモノに出来た。すごい』というような声があった。私も同感だ。よほどすごい魅力がなければ出来ない技であろう」と書く。


 それにインターネット上の声を使って自分の言いたいことをさらりと書く。実に説得力のある上手い書き方である。乙武氏の障害を知っている読者はみなだれもが、納得してしまう。


 終わりの方で林真理子さんは「世間は私のような考え方をする人間ばかりではあるまい。いや、かなり少ないかも。彼はしばらく『茨の道』を歩くであろうが、彼のことだ、それもうまくやりおおせることであろう」と自ら謙遜しながらもしっかりと励ます。これもさすがである。


 朝日新聞に掲載された瀬戸内寂聴さんのコラムもいい。


「今から17年前の初夏、乙武さんが後にも先にも一度だけ、京都の私の住み家、寂庵へ訪れてくれた。たしか乙武さん、23歳の時だった」と書きだし、「会ったのはその時だけだったが、…ずっと陰ながら好意を抱きつづけ、その幸福を祈っていた乙武さんが、突然、不倫の不行跡をあばかれ、週刊誌に書きたてられ、マスコミに非難されている。まさかの夏の参院選に向け、自民党で立候補するなど思いもかけなかったが、さすがにそれは取りやめた」と書いた後、「これから生きのびるには、小説家になるしかないのでは。小説家は不倫をしようが、色好みの札つきになろうが、その恥を書きちらして金を稼いでもどこからも文句は言われないよ」と乙武氏に大きな勇気を与えている。


 男女の悲しいさがなど苦悩の日々を生き抜いて作家となり、さらには出家までした瀬戸内寂聴さんだからこそ、こんなふうに乙武氏を励ませるのだと思う。


 余談だが、林真理子さんも「(作家は)まともな人種だと思われていないから、スキャンダルがあってもへっちゃら。だから乙武君も、本当に〝作家〟だったら大丈夫だったのにね」(「夜ふけのなわとび」)と瀬戸内寂聴さんと同じことを語っているからおもしろい。


 最後に私もこの2人の女流作家に勇気をもらい、「乙武氏の不倫、何がいけないの」とはっきり言いたい。   (沙鷗一歩)