つい見落としてしまっていたのだが、月刊『本の雑誌』の5月号(前号)で、《週刊誌の時代が再びやってきた!》という特集が組まれていた。文春のスクープ連発を受けた特集で、文春、新潮の初代編集長対談のほか、両誌の現在の編集長、新谷学・週刊文春編集長と酒井逸史・週刊新潮編集長へのインタビューも掲載されている。


 しかしこの特集、最初の執筆者、『噂の真相』の元副編集長・川端幹人氏がのっけから「(週刊誌の時代など)申し訳ないけれど、そんな時代はまったくやってきていない」と釘を刺し、微妙な雰囲気で始まっている。川端氏は、新聞やテレビには目に余る委縮、ネットメディアには「取材能力のなさ」という深刻な問題があり、その狭間で週刊誌の存在意義が高まっているにもかかわらず、現実にその力を発揮できているのは、文春だけしかない現状を冷徹に指摘する。そのうえで「あと1誌でいいから、『文春』に続く“イケイケ”雑誌が出てきてほしい」と切実な願望を綴るのだ。ある意味、『本の雑誌』のこの特集そのものが、編集部の各誌への祈るようなエールになっているように感じられる。


 文春、新潮両編集長へのインタビューは、両誌の雑誌作りを事細かに聞いてゆくもので、空前の出版不況の中、週刊誌のあり方を根本から語るような“大構えの話”はしていない。それでも、個別具体的な“細部の話”も、それはそれで興味深い。


 特に印象深く感じたのは、両誌のイメージする「一人前の記者」に微妙な差異が見て取れたことだ。文春編集長は、日々の仕事の中、名刺交換した取材先との関係をその場限りに終わらせず、波長の合いそうな相手とは食事をするなどして、人間関係を築いてゆくことが大切さだと強調する。


 かたや新潮編集長は、新聞社の政治部、経済部、社会部、運動部にそれぞれ2、3人、計10人ほど「ぱっと電話できる相手」をつくるという、若手雑誌記者が目指すべき、より具体的な努力目標を示している。


 一見、似たような話にも思えるが、新潮編集長のほうが、毎週の仕事に直結するマニュアル的なノウハウを語っている。逆に言えば“だからこその限界”も、筆者には感じられてしまう。文春のほうが“業界関係者にとらわれない幅広い人脈”を目指しており、そのことが同誌の“足腰の強さ”を作り上げているように見えるのだ。


 新潮のノウハウには、新聞社における伝統的な記者育成方法を思い起こさせる部分がある。司法関係者や公務員、政治家などニュースの最前線にいる定番の人々に“ネタ元”をつくり、情報を仕入れてゆく。そんな新聞社のノウハウは、極めてオーソドックスだが、オリジナリティのほとんどない“それだけの記者”を往々にして生みがちなデメリットがある。文春のように間口を広くとり、一見、ニュースには直結しなさそうな対象者も含め、長い目で種を撒き、人間関係を築いてゆくほうが、忘れた頃、“想定外の大ネタ”をゲットする可能性があるように思えるのだ。


 製造業で言えば、研究開発のようなものである。短期間に収益に直結する開発しか許されない“余裕のない環境”では、なかなか“驚くべき新商品”は生み出せない。ある程度、無駄を許容するゆとりが求められるわけだが、右肩下がりの業界の実情では、文春を真似できる雑誌編集部はなかなかないだろう。そんなところにも、昨今の週刊文春の強みを改めて感じた。


 今週は、文春が巻頭で報じた東京都・舛添知事の公費濫用疑惑のほか、ポストがスクープした日銀審議委員の経歴詐称疑惑、現代による弁護士局部切断事件の被告インタビューなどが目を引く記事だった。

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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。