【データヘルス計画・その3】


●年金情報流出がもたらしている医療ビッグデータ管理への不信


 このところ、マイナンバー制度に対する社会的関心は強まっているが、その基本的な効果面で、公衆衛生上で期待されている国民の健康への寄与についてはリンクして考える論説がめっきり減った。むろん、将来的には活用、効果が期待されるものの、やはり年金機構の個人情報漏洩問題が大きな影を落としているといわざるを得ない。公的機関が管理する総合的な情報の「束」を、彼らが管理することすら黄信号がつくなら、個人情報管理は信頼することができないというのが、声高ではないが社会的認識として再び固められたという状況を作り出したとしか思えない。


 確かに、医療に関する個人データの集積、コホート的な情報集積アプローチ(つまり医療ビッグデータ)が持つ、今後の公衆衛生上の効果に関しては、期待が大きいし、それを真っ向から否定することは必要がない。正確に、適確に適用され、運用され、活用されるなら、その効果は大きいだろうし、期待も強い。


『医療ビッグデータがもたらす社会変革』(日経BP社)の監修者で、滋賀県で大規模コホート研究事業を進めている中山健夫・京都大学大学院教授は、同書の中で自らのコホート研究について、「環境・生活習慣情報、検診による臨床情報、ゲノム情報からオミックス情報までを網羅した医療ビッグデータを、医学研究と共に市民の健康づくりにも役立てる意欲的な取り組みである」と紹介している。その国民全体へのメリットのフィードバックが、強い期待をもたれるのは当然だ。


 で、結局、舞い戻ってしまうのは、「メリットのある、適正に活用されれば真に国民の健康福祉に役立ち、新しい健康社会を確立する“医療ビッグデータ”とは何か」という基本的テーマだ。しかし、中山氏もこれに関して同書で、「ビッグデータに関して、まだだれも確たる答はもっていないのではないか」と述べている。やはり、医療ビッグデータとは何を意味するかは、まだ、関係研究者や為政者の間で、統一的な確立された「語釈」のようなものはないようなのだ。


 これは筆者の独善的な「思いつき」だが、こうした「医療ビッグデータ」のあいまいな印象が、データそのもののイメージと相俟って「複雑系」という便利な言葉で放置されたまま、データヘルス事業へと突き進んでいるようにも思える。マイナンバー制度に対する論議は、性善説か性悪説か、メリットとデメリットのどちらが大きいか、損するのか得するのかという2項対立する意見で戦われている向きもあるが、情報の総量、質の選択、あるいはその方法論すら目に見えないようでは、それを制度化するときの制度の質量の正確な判定ができない、論議すら扱いかねるという「世論の感覚」があるように思えるのである。


 中山氏が監修した本でも、国民共通IDの医療利用が、医療ビッグデータを活用して最適化医療を実現するための重要なテーマとなることが語られている。すなわち、それがマイナンバー制度における医療ビッグデータの役割ということになろうが、同書自体が「センシティブ」という表現で、マイナンバー制度への合意への期待を示しているにすぎないことも、現場の研究者や為政者にも、医療ビッグデータが実はどう活用されるかには具体的な像が結ばれていない状態だということができるのである。


 なお、誤解を招かないために付言しておくが、医療ビッグデータのマイナンバー制度への活用は、「センシティブ」なだけに、現在の政府方針の中では「対象外」となっている。医療ビッグデータの制度システムとしての機能化は白紙状態である。その中で、データヘルス計画が15年度からスタートしたという状況をあらためて理解しておきたい。


●特定健診・特定保健指導の立体化


 何回か述べてきたが、データヘルス計画は13年6月に閣議決定された「日本再興戦略」の中で位置づけられ、保険者が14年度中に計画を策定し、15年度から17年度までの3年間でデータに基づく生活習慣病対策をはじめとする被保険者の健康増進、糖尿病等の発症や重症化予防等の保健事業の実施および評価を行うものである。


 前回にも触れたが、データヘルス計画は、健康・医療情報を活用してPDCAサイクルに沿った効果的で効率的な保健事業の推進を図るための計画だ。以前から行われてきた特定健診・特定保健指導の一層の活性化、健康日本21に示されたこれまでの保健事業政策の立体化、あるいはこうした過去の政策の強化、整合性を図ることも目的である。いうなれば、特定健診・特定保健指導で始まった地域、職域における保健事業施策を、より浸透させ、定着させ、それをエビデンスを持って、地域・職域の独自の課題発見と対応策をはかるということになる。


●糖尿病、腎臓病への取組みを始めた例


 データヘルス計画を13年度から開始した健保組合も実は少なくない。ある健保組合は、13年度から以下のような事業を開始している。ただ、この場合は特定保健指導対象者は除かれている。つまり、健診数値から、予防と重症化抑制を目的としたものであり、その意味でデータヘルス計画のひとつの例としてみてほしい。


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対象者Aグループ(糖尿病予備群)  

ヘモグロビンA1c6.5%以上     体調、生活習慣の確認と改善指導

空腹腹時血糖値126㎎以上   通院状況の確認と必要に応じ通院勧奨

通院履歴がないか少ない人
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対象者Cグループ(腎臓病)

クレアチニン 男性1.1㎎/dl以上    体調、生活習慣の確認と改善指導

       女性0.7㎎/dl以上      通院状況の確認と通院勧奨

尿素窒素      20㎎/dl以上

通院履歴のない人

 以下のPDCAサイクルにより効果的な保健指導を実施
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①    対象者データを分類分けし、保健指導計画を立案

②    当健保組合の看護師による保健指導(個別面談またはメールによる状況調査)

③    レセプトデータの分析必要に応じ通院状況の確認

④    疾病リスクへの対応が不十分と思われる方への再保健指導

⑤    次回健康診断の健診データにより、数値の改善状況を確認

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 基本的に上記のような形がデータヘルス計画の初期段階である。なかでも、これまでの特定健診・特定保健指導と違うのは③のレセプトデータでの分析を加味したことだ。個人情報であるレセプトデータがここで使われることは画期的だが、それだけに、保険者がデータヘルス計画の実施を担う意味がここにみえてくる。情報の管理は保険者レベルでとどめることからスタートした、というのが現在のデータヘルス計画の実相だ。すなわち、このような個別団体間で情報を閉ざすことを余儀なくされる現状が、医療ビッグデータをマイナンバー制度にリンクスさせることの難しさも現している。

 次回では市町村の取組みに見られる特徴を紹介する。(幸)