年代の日米経済摩擦から起きた一連の日米の経済協議がその遠因となっていると述べた。しかし、これはこのレポートの独善的な見方かもしれない。また、こうした日米経済摩擦と、日米交渉の展開を振り返りながら、TPPについて論じるのは、位相も違えば本質的な「交渉目的」を理解しないという暴論という指摘もあるだろう。むろん、各論を通して言えば、そうした見方が的を射ているのも承知できる。


 70年代繊維交渉以後の日米協議の流れをみると、双方の主張は互いの産業政策のぶつかり合い、あるいは特に米国における国内産業保護のインパクトから出発しており、実際には、日本国内の規制を当初からあからさまに求めるものではなかった。そのため、日本における規制緩和が、これらの日米間、あるいは世界経済の80年代以降のうねりの中、基幹的で主要なテーマであったわけではない。経済学的にいえば、日本の市場開放を求める中での個別的課題、いわゆるミクロ的課題だったということの理解が必要だ。


 違う産業分野をクロスさせて、互いの得意分野産業に関する相手国の市場開放を要求する「たすきがけ交渉」、実施時期の確定や、市場開放の比率目標設定といった、2国間における経済(貿易)交渉などは、TPPそのものとその趣旨、目的とは異質であることは認めておきたい。


 その意味で、関税の自由化という、いわば「見た目」では公平な多国間貿易交渉が、日米貿易交渉のこれまでとリンクするという見方は批判を受けて当然だ。


 端的にいえば、繊維、自動車、半導体といった産業別の利益・不利益を言い争う経済協議の時代から、冷戦構造の終焉によって、新たに始まったそれぞれの国の産業構造に対する是正、共通化、あるいは互いの特徴を認め合うという目的から、それぞれの国に保護的な経済政策の見直しを求める動きが活発化し、グローバルレベルでの関税自由化の流れが生まれ、その結果として、国内外間の規制緩和の必然が生じてきたと言い換えるべきだろう。


 逆に言えば、規制緩和はすべてが自由化に向かうということと同義語ではない。もともとあった規制を「緩和」するために、新たな規制が生まれた例もある。ただ、この連載の中では、日本医療の世界では貿易自由化のために「緩和を必要とする規制」の影響は大きすぎるし、日本の国民皆保険制度の先行きへのメリットはどうしても考えにくいことを示しておきたかったということである。


 陳腐な見解に映るかもしれないが、少子高齢化が高速で進む中で「国家社会保障制度のあり方」に関する、国際的な先発スタディは何もないことは今や常識であり、TPPがもたらす医療分野、社会保障分野市場の構造変化も見通しがつけにくく、さらに安定的に、公平に供給されてきた特に医療が、不自由で不平等なものとなり、そのうえ、国民の公衆衛生、ヘルスケアに重大な影響をもたらすことの懸念は、TPP論議が進めば進むほど強まるのである。


 何度か指摘したが、TPP推進論者からは、TPP以後の日本の社会保障政策に関して、具体的な青写真が示されてはいない。自由診療の拡大、混合診療のメリットに言及はするが、それによってもたらされる反作用をどのようにリカバリーするかの議論は、緒にもついていない。医療・介護を中心に、日本のヘルスケアマーケットへの魅力は、臆面もなく語られ続けているにもかかわらずだし、創薬や遺伝子情報集積には国際競争の観点から、国内制度の欠陥(逆側からみればメリットでもある)への指摘の声はなぜか大きく聞える。


●不信の根はクジラやイルカ問題にもある


 連載でも触れてきたが、米国は70年代、日本型経営を学んだという説がある。そしてTPPによってさらにその理解が深まり、そのことが日本の国民皆保険制度の長所への理解も深めるという、まったく検証の一片すら行われていない意見もある。


 しかし、70年代以降、米国が日本に注目し続けたのは、官民の産業政策に関する政策の一体感だ。「行政指導」は英語では「規制」に見えるが、一方では行政による支援でもある。経営(政策)を学んだなどというのはどうも信じられない。「カイゼン」や「カンバン方式」という日本語が世界の企業用語になったというが、生産現場の「いいとこ取り」はあったかもしれないが、逆には人件費の合理化などにみられる米国型経営方式が日本に逆輸入され、それが現在の特に若い人たちの雇用にどのような影響をもたらしか。結果、少子化を推し進めただけではないのか。


 少しだけ、あえて好意的にTPPをみると、2国間の市場全体、あるいは経済的環境、文化・伝統の持つ力、つまり国民性や市場経済構造自体を理解したうえで、交渉協議するという考え方が、定着しかけているかもしれないという期待は語れる。80年代にあった「たすきがけ交渉」の発展形かもしれないが、それでも本質的に公平な相手国理解を前提に進むかという保証は何もない。


 関係ないとの批判があるのを承知で付言すれば、白人的感性で語られるクジラやイルカの話を聞くと、生理的に、日本人が構築した社会保障体系、システムと制度などというものに、最初から学ぶ姿勢はないのではないかという印象を持つ。


 床屋政談ふうに言えば、だから根底から変えて、仕組みは市場に任せろという市場原理主義には付き合っていられないというのは、ごく当然の反応であると、この連載ではあえて主張しておきたい。


●リーマンショックが体現した「小さな政府」論の破綻


 TPPという考え方が出てきた背景にあるのは、経済のグローバル化であり、そしてそれが目の当たりにされたのは08年のリーマンショックであろう。


 経済グローバル化が、世界の金融市場に与えたショックが公衆衛生に与えた影響を検証した本が、最近出版された。英国の疫学研究者コンビのデヴィッド・スタクラーとサンジェイ・バスの共著『経済政策で人は死ぬか——公衆衛生学から見た不況対策』だ。豊富な疫学的データを駆使し、医療・介護をはじめ、生活保護、雇用、住宅政策までも俯瞰して、セーフティネット(SN)の充実が、決して経済成長の負の側面を持つのではないことを明らかにしたものだ。


 SNをあえて、日本では「国民皆保険制度」と読み替えてこのレポートを読むと、なかなかに示唆に富む。バスは医師である。高名な疫学者でもあり、論文は米英の一流の医学・科学系雑誌、経済・社会学系雑誌に採用されてきた。本を出した目的は、「健康と社会環境は密接な関係にある」ことを具体的に示すこと。


 さらに踏み込んでバスらの目的をみると、割り切って一言で片付けてしまえば、市場原理主義に基づく緊縮経済政策、競争原理に基づいた政策経済の縮み、「小さな政府」論への反証だ。そのことは「結論」の章で、「これまで緊縮政策が失敗してきたのは、それがしっかりした論理やデータに基づいたものではないからである。緊縮政策は一種の経済イデオロギーであり、小さい政府と自由市場は常に国家の介入に勝るという思い込みに基づいている。だが、それは社会的に作り上げられた神話であり、それも、国の役割の縮小や福祉事業の民営化によって得をする立場にいる政治家に都合のいい神話である」。


 リーマンショック後の、特に欧米各国の社会福祉政策の差異が、どのようにその国の健康と社会環境に与えたかを、うつ、自殺率、麻薬使用、新興感染症の発生などのデータで語り続ける同書は、20世紀前半の大恐慌時代に米国政策がとった有名な「ニューディール政策」がいかに有効だったかを語り、その政策が今でも有効であり、そこに多くの国の為政者が学ぼうとしない状況を示す。そして、いわゆる市場原理主義的な、民間の競争と効率化主義がもたらした弊害を繰り返している。


 リーマンショック後の欧州経済を同書は「大不況」と位置づけ、緊縮政策に入った英国と社会保障政策(SN)の拡大で対処したアイスランドの、その後の経済成長の違いを示す。むろん、同書ではアイスランドは早々に危機を脱し、一方で、深刻な債務超過に陥り、IMFやEUの財政支援プログラムに沿って、社会保障費用の大幅な削減を含む、財政縮減策を強いられたギリシャでは、自殺増、うつ病の増加、さらに新興感染症や、麻薬使用時の注射針の共用によるHIVの増加なども報告する。一方で、スウェーデンやフィンランドなどの北欧諸国では、雇用制度のプログラムを工夫することでこうした危機を乗り越えた状況も示している。


●有効な国民皆保険制度


 市場原理主義による経済政策が何をもたらしたかについては、経済学的にもトマ・ピケティの『21世紀の資本』が世界各国でベストセラーになったように、富の集中が社会環境にどのような影響を与えたか、豊富なデータで示すことがひとつの流れだ。


 バスらは基本的なスタンスのひとつとして、国民皆保険制度の有効性を実証しようとする姿勢も強調している。英国のNHS、カナダ、日本が皆保険制度下で、実際には医療費の膨張的な拡大を阻止していることを何度か述べている。彼らは医療に市場原理を導入すれば効率的になるかということはないと言い切り、その点を誤解している人が多いとも指摘している。一方米国は、1970年の保健医療支出は750億ドルだったが、2010年には2兆6000億ドルに膨らみ、この間のインフレ率の4倍。その理由は「出費に見合う効果が上がっていないため」で、米国の医療制度は患者のためでなく、医療提供側(病院チェーン、製薬企業、保険会社)のためにあるということではないかと指摘している。


 バスらの指摘は、経済政策の中で少なくとも国民皆保険制度の堅持はそれに付随する様々な支援政策が付帯すれば、医療費はそれほど膨らまないことを検証している。


 北欧諸国での「付随する支援施策」は雇用システムの充実にあったことをバスらは報告しているが、日本では世界が経験していない高齢化を経験する中で、高齢者が持つ潜在的資産が流動し始めるのは近いことが資源的価値を持つのではないかという見方もできる。人口減対策は移民政策も含めて論議が本格化することは間違いない。その意味では、医療を軸にした社会保障政策は、そうした資産流動、人口減対策の最大の政策手段になることは濃厚だということにも気がついておかねばならない。


●TPP以後の医療保険制度に関する具体的提言は何もない


 TPPの今後は、未だによくわからない。しかし、いずれにしても、今後必要なのは成長戦略を語る中で、市場原理主義とは相容れない分野の政策課題・分野を明確にしておくことである。バスが報告するように、経済のシュリンクに伴って小さな政府に舵を取ると、公衆衛生は低下し、それによって経済成長を阻害するという検証も重視されるべきである。社会保障以外の市場では原理主義的な経済システムはすでに構築されかかっている。低人件費だけを例にとれば、介護もそうしたシステムで成立しかけている。


 懸念するのは製造業の世界で市場原理主義が拡大し、社会経済のシステムがそのようなベクトルで推移される中で、「地域包括ケア」という美名のもとで、旧来型医療システムと介護の報酬システムに、社会はどちらに効率性を見出すだろうか。結論は見えている。地域包括ケアを本質的に社会保障という枠組みの中で閉じ込めるのなら、医療的システムの中で「包括」を果たさなければ、見通しは暗いといわざるを得ない。


 例えば、薬価と診療報酬に関して発言を躊躇しなくなったり、あるいは介護報酬の引き下げなどを繰り出してくる財務省の姿勢を支えるのは、巨視的にみれば医療保険制度の根幹に周縁から手を伸ばし、統制経済的制度からの脱却、いわゆる日本の医療(ケア)のガラパゴス化を阻止する意欲だ。ガラパゴス化して国民医療、介護システムを守ることは、ひいては経済成長のエンジンにもなることを、検証する報告を日本でもみてみたい。


 最後に、繰り返しになるが、TPP推進論者たちが実にきめ細かくかつ、TPP条約締結によって、どのような新しい医療制度を準備しているかというふうに話を期待する向きがあるかもしれないが、実はTPP以後の国民医療について、建設的な、あるいは少なくとも、現在の皆保険制度を堅持したままの提案などといったものはほとんどない。


 自由医療部分を同居させる2階建て制度などに踏み込んだ意見があることにはあるが、それは混合診療の導入意図を持った小泉政権下の市場原理主義者の言い分をそっくり言い換えたものであることが多い。つまり、TPP交渉を材料として行われる医療保険制度への影響論議は、実は小泉改革のときから行われている議論の延長なのである。


 だから、新しい話も、「建設的な」提案も、初めて聞くようなTPP下での医療制度論などといったものは、今のところ何もない。(幸)