今年の週刊誌業界は文春砲に始まって文春砲に終わることになりそうだ。しかも今回の一撃は、ベッキーや宮崎衆議院議員のゲス不倫など、年初めのスクープ群と比べても、段違いにスケールが大きい。もしかしたら今年の国内ジャーナリズム全体を見渡しても、ピカ一の報道と言えるかもしれない。


 思い起こせば、甘利明・前経産相の疑惑追及では、テレビや新聞の“あと追い”は哀れなほど及び腰だった。今回のスクープにも今のところ、他メディアは音なしの構えである。大手メディアがもはや“弱い者いじめの一斉攻撃”しかやらなくなっているなかで、またしても文春の孤軍奮闘が際立つ光景になってしまっている。


 さて、その新たなる文春スクープだが、以前から「ブラック企業的体質」を指摘されていたアパレルのトップ企業・ユニクロに、フリー記者が何と1年以上、準社員として就職して潜入取材を決行した、という驚くべきルポルタージュである。


 筆者の横田氏は2011年、『ユニクロ帝国の光と影』という本を出版した人物だが、ユニクロ側はこれを名誉棄損として、版元の文藝春秋に2億2000万円の損害賠償を求める裁判を起こした。最終的にこの訴訟では、文春の勝訴が14年末に確定した。そして、横田氏はさらなる取材に着手した経緯を、リードに相当する文章で、こう説明している。


《私は勝訴したが、柳井社長はその後インタビューで「悪口を言っているのは僕と会ったことがない人がほとんど。うちの会社で働いてもらって、どういう企業なのかをぜひ体験してもらいたい」と語った。ならば実際に働きながら取材しよう。以後八百時間を超える労働から浮かび上がったのは、サービス残業と人手不足の実態だ》


 この手の潜入取材で思い起こすのは、1973年にルポライター・鎌田慧氏がトヨタの期間工として働いた経験を発表した『自動車絶望工場』という作品のことだ。自動車産業の内幕を暴いたこの本は話題作として注目を集めたが、一方で大宅壮一ノンフィクション賞の最終選考では、一部選考委員から「取材方法がアンフェアだ」などという批判が出て、受賞を逃した逸話も知られている。


 大手メディアのサラリーマン記者や凡百のフリー記者には到底真似できない、巨大組織最深部への取材に、フェアもアンフェアもあるものか、という反発は当時もあったのだが、今回の横田氏の潜入では、同様の批判を想定してのことか、度肝を抜くような手法が使われている。


 自らの“天敵”横田氏が採用試験に現れれば、ユニクロ側だっておめおめ見逃すはずはない。かと言って横田氏は偽名を使いはしなかった。合法的な手続きで、自身の戸籍名そのものを改名してしまったのだ。面接試験でも、とにかく「ウソをつかないこと」に細心の注意を払ったという。


 堂々と“本名”を名乗り、何ひとつウソもつかずに成し遂げた就職に、ケチを付けられるいわれはない。取材活動のためここまで身を削り、リスクを負う記者がこんな“メディア総萎縮時代”に存在することに、改めて驚嘆する。ルポ連載の1回目は、11月に行われたユニクロ恒例の「創業感謝祭」期間中、1日14時間半、5日から7日間も連続で働く従業員たちの悲鳴が赤裸々に綴られている。


 横田氏の潜入は現在も続行されており、これからも続報が次々と出てくることだろう。ユニクロの“ブラック度”の実際のところ、どの程度のものなのか。すでに社を挙げて始まっているであろう“潜入者探し”は、横田氏にどこまで迫ってきているのか。スリリングな展開から当分は目が離せない。 


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三山喬(みやまたかし) 1961 年、神奈川県生まれ。東京大学経済学部卒業。1998年まで13年間、朝日新聞記者として東京本社学芸部、社会部などに在籍。ドミニカ移民の訴訟問題を取 材したことを機に移民や日系人に興味を持ち、退社してペルーのリマに移住。南米在住のフリージャーナリストとして活躍した。2007年に帰国後はテーマを 広げて取材・執筆活動を続け、各紙誌に記事を発表している。著書は『ホームレス歌人のいた冬』『さまよえる町・フクシマ爆心地の「こころの声」を追って」 (ともに東海教育研究所刊)など。