日本の憲法論議で声高に語られるのは、相変わらず第9条だ。国民の憲法観を知るために行われるアンケート調査でも、ポイントは9条におかれていることが多い。特に最近では安全保障法制に関する論議がヒートアップしたばかりであり、平和主義の崩壊を危惧する声や、集団的安全保障体制を通じて、日本の自立性を主張する声が飛び交っていたこともある。


 しかし、そうした中で、いわゆる立憲主義そのものを問う論議や、国民主権、基本的人権などの平和主義以外の2要素に関する論議喚起を促す声も以前よりは大きくなった印象がある。そのことは、憲法が国民を守るという側面、あるいは国が国民を守らなければならないという、より「生活権」に根差した憲法解釈の必然が高まっているということである。


 その理由は、本質的に「格差」、そこから発生している「貧困」が、社会のフレームの中で濃い陰影を与え始めているからに違いない。貧困は、高齢者だけではなく、若年層、子どもにまで深刻な課題を増殖させていることも、論を俟たない。


 こうした、憲法論議そのものまで深堀りしたくなる社会的状況は、憲法11条の「基本的人権」、同25条の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」ことが実際に守られているかの基本的な問いを投げかけざるを得ないところにまで進んできている。国はその憲法を守っていると言えるのか、という問いは、今後、猛烈なスピードで世論の中核となることを予感させる。


●少子化の影響の凄まじさ示す高齢者人口割合の将来推計


 こうした構造を生み出しているのは、どの社会保障政策論でも「人口の高齢化」であることは異論がない。この論考でもそれに異を唱えることはないが、しかし「そもそも人口の高齢化」とは何だろうか。そこから生み出されている、2015年問題、2025年問題、2040年問題とはいったい何か。その問いを丁寧に考えておかなければ、「適正寿命」が規範化されていく、されようとしている背景を理解することはできない。むろん、「人口の高齢化」は周知の常識であるという反論はあるだろう。だが、一度、その状況を立ち返ってみてはどうだろうか。


 まず人口自体の増減を振り返ってみよう。総務省統計局のデータからみると、第2次大戦が終わった年の1945年の日本の総人口は7214万7000人だった。これが1950年には8411万5000人となり、5年間で1200万人、17%も増加している。戦後のベビーブーマーたちの出現である。このうち、1947〜49年の3年間で800万人近くが生まれており、これがいわゆる「団塊の世代」といわれる人々だ。


 2015年問題は、1949年以前の出生者が全員65歳を超え、年金受給者、すなわち「高齢者」になったことを指す。戦後5年間に増えた1200万人が09年から14年までの間に、高齢者の仲間入りをしたわけだからそのインパクトは半端ではない。そしてこの世代は1970年からほぼ5〜6年間にわたって、第2次ベビーブームも招来した。エコー効果ともいわれる。2015年は、まさしく新たな時代がスタートした年だということになる。表現を変えれば、人口の高齢化の現実がスタートしたと言っていい。


●加速する人口減少の中で


 国内人口のピークは、08年の1億2808万4000人。この年を境に人口は少しずつ減り始めている。むろん少子化がそのスピードを加速させていることは言うまでもないが、現状はその減り方のカーブは緩い。14年時点での人口は1億2708万人であり、6年間で100万人程度の減少だが、ただ100万都市がひとつなくなったという表現をとれば、消費などへのインパクトは小さくはないということもいえる。また2010年時点での人口は1億2806万人であり、実は4年間で100万人減っているのである。減少スピードが加速しているという現実は、そこに垣間見ることができる。


 12年に国立社会保障・人口問題研究所が公表した全国将来推計人口によると、東京オリンピックが開かれる2020年には、1億2410万人になると推定している。2010年からの10年間で実に400万人減る。さらにその10年後の2030年には1億1662万人で、20年間で1200万人近くが減ってしまう。


 しかし、高齢者人口は増え続ける。2010年には2948万人だったが、2020年には3612万人、2040年には3868万人となる。ただそこをピークに減少に転じるとみられ、2050年には3868万人、2060年は3464万人となる。しかし、2060年の国内人口総数の推計は8674万人。つまり高齢化率は高止まりする。高齢化割合は、2010年23.0%、2020年29.1%、2030年31.6%、2040年36.1%、2060年でも39.9%と右肩上がりが継続する。人口総数が、4000万人減ってしまう間に高齢者だけが増え続けるということであり、少子化の影響は相当な衝撃であることが理解できる。


 こういう数字を背景にしたのが、いわゆる2015年問題、2025年問題、2040年問題だ。2015年についてはすでに述べたが、2025年問題は高齢化率が30%の大台を超える中で、75歳以上の後期高齢者の割合が飛躍的に増加する。つまり、2015年時点で65歳以上になった人々が、その10年後には後期高齢者になるという爆発力だ。


 この点を人口推計でさらっておくと、2015年の65歳以上人口は3395万人、高齢化率は26.8%。2015年は昨年になるが、あくまでも現段階では推計データである。そしてこれを75歳以上、つまり後期高齢者人口に絞ると、1646万人であり、現況は後期高齢者は高齢者全体のほぼ半数ということになる。全人口に占める後期高齢者割合は13.0%だ。


 一方、2020年には高齢者数は3612万人、高齢化率は29.1%、後期高齢者数は1879万人(後期高齢者割合15.1%)となり、後期高齢者数が高齢者全体の半数を超える。この時点では、戦後のベビーブーマーはまだ後期高齢者には至っていない。このことをしっかりと認識しないと、高齢化の実相を確かめられない。なぜなら、いわゆる戦前生まれの後期高齢者が1879万人ということは、現在の前期高齢者(65〜75歳)および、今後数年のうちに前期高齢者となる群は、後期高齢者の介護担当者として多くが存在することを容易に推定させるからだ。



 例えば2020年の80歳以上の高齢者は1173万人。その多くが、現在の65歳周辺の親である可能性は高い。老老介護の本格化が迫っている。なお、高齢者全体に占める後期高齢者割合が半数を超えるのは2017年と推計されている。来年である。


 ベビーブーマーが後期高齢者となる2025年はどうか。高齢者人口は3657万人、高齢化率は30.3%、後期高齢者は2179万人(後期高齢者割合18.1%)。高齢者のうちほぼ6割は後期高齢者となる。それは老老介護問題が、今度は社会的ケアの方に絶対的に、本格的に重心を移さざるを得ない状況を生み出す。地域包括ケア体制の整備は、人口推計面からもその必然は明瞭といえる。また2025年は、後期高齢者割合が人口の2割を占める時代の始まりだ。


 当然、日本はすでに人口減少時代に入っている。多死社会に向かっている。それでも高齢化割合は伸び続けるのである。少子化の影響の凄まじさが実感できるはずだ。


 さらに2040年は、そうした後期高齢者のグループが、現状の寝たきり指数のまま、生存していると日本の医療を中心とする社会保障政策はどうなっているかという想像力の問題だ。現状の日本の平均寿命がこのままでいいのかという課題意識に直結する。適正寿命が今から言われなければならない強力な根拠であり、そのままで推移すれば、戦後から100年で、戦後すぐに生まれた世代が「国を滅ぼす」という論拠につながっている。


●高齢化は首都圏を直撃する


 実は、こうした人口構造の問題、つまり人口の高齢化が国の問題より、都市の問題を先に炙り出すことも考えられている。現在までの高齢化の課題は、過疎と一体で語られることが少なくなかった。限界集落の急増、里山の廃れ方、イノシシや鹿などの野生動物の増加、地方都市のシャッター通りなどなどは、地方の高齢化と過疎の問題として語られてきたが、今後の人口の高齢化は大都市を直撃する。


 一極集中する東京都をみると、2010年の高齢者数は268万人、2015年推計は308万人で、5年間で40万人増加している。2020年は324万人、2025年は332万人、2040年は412万人と推計されている。これを2010年を100とした指数でみると、2025年は124.0、2040年は153.7となる。この傾向は神奈川県では少し東京都より濃厚な数字となり、埼玉県、千葉県の首都圏でも同様の傾向が示されている。


 一方で、すでに高齢化が進んでいる地域では、こうしたドラスティックな推計にはなっていない。また大阪府、京都府、兵庫県といった関西圏も指数は伸びるが、首都圏よりは10ポイント近く下回る。これは現状での高齢者割合の高さと相関している。例えば、東京都の2015年の高齢化率は23.1%だが、大阪府は26.6%、兵庫県は27.1%。このことは、高齢化に際しての対応準備に相応の時間的落差を生んでいるのではないかと想定される課題を含んでいる。


 次回は、そうした対応準備に関するデータと、社会保障費用、財政問題に関して、現状と将来推計をあらためてながめてみたい。(幸)